"読書メモ('12) - 今年こそ100本!"

2012年9月10日 (月)

[読書メモ]勝間和代『「有名人になる」ということ』

20120910__2「有名人になる」ということ(勝間和代)

勝間和代さんの最近の著書です。勝間さんはブームの頃に書かれた本より、ブームが過ぎて酷評されるようになった自分自身を、ある意味自虐的にとらえている最近のもののほうが、おもしろく読めています。この立ち位置の人はあまり表舞台に出てこないし、出てきても自分のポジションをどう定めるかで試行錯誤している感があり、有名になる前とはまた違った苦労があるのがわかります。
本書は大上段に構えたタイトルにしていますが、セルフ・プロデュース、あるいはセルフ・ブランディングのあり方を問うた本です。勝間さん自身の経験をもとに書かれており、勝間さんのセルフブランディングは「有名になる」ために行っていたということですので、この書名になっています。
(なお、勝間さんにとって有名になることは目的ではなく、女性の社会進出を進めるなど、よりよい社会を作るための手段として、自ら広告塔になることが有用と判断したとなっています。)

人は誰しも名をあげたい、有名になりたいと考えていると思います。そうでない人は、本書でも示されている有名になることのデメリットやリスクを重視し、リスクを避けるために名をあげることを拒否しているのでしょう。もちろん、それも間違っていないのですが、有名になりたいと思っていてもそうなれないのは、セルフブランディングのあり方に原因があるのでしょう。
そして本書を読んで、そこまでして有名人になりたいだろうか、と自問します。セルフブランディングの絶え間ない努力と、その結果ついてくる前述のリスク。そこでリスクをとってでも名をあげたいという人は行動を起こし、独立し、知られるようになっていくのでしょうが、自分なんかはとてもとても。

勝間さんに限らず、成功された方々(本人がどう考えるかではなく、世間的に見ての成功)のそこまでの努力は大変なものがあるし、話を聞くたびに驚かされます。好きなことを好きなようにやっていて、気がついたら有名になっていたということは、まずないだろうと思いますし、たとえそういう話があったとしても、表に出ない苦労を積んでの結果だろうと考えます。
本書の場合、単なる苦労話ではなく、なぜそういう努力が必要なのか、という観点からロジックに基づいて書かれているのが、売りになっています。テレビに登場するだけが有名になることではありませんから、実績を上げる、売り上げを伸ばす、アイデアを形にするなど、いろいろな方面で役に立つと思われます。
自分の特徴をつかみ、生かしていくこと。勝間さんの場合は概念を言語化する能力であり、他の人も自分も、何か他人にはない特徴を武器にすることができます。その武器を生かすことが、セルフブランディングであり、有名人を目指す第一歩ということでしょう。

有名人になることによるデメリットは、当然予想されるもの。有名になりたいという気持ち自体が、有名人に対するうらやましさとなって批判につながる部分もありますから、叩かれることを避ける方法はありません。
その辺りの対処方法はあまり書かれていなかったのですが、やはりある程度は受け流し、ある部分については真摯に対応し、いずれにしても下手に策を弄することなく軸をぶらさないこととなるのでしょうか。

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2012年8月23日 (木)

[読書メモ]福田秀人『ランチェスター思考』

20120822_ランチェスター思考 競争戦略の基礎(福田秀人)

ランチェスター戦略は、もともと軍事での考え方です。物凄くおおざっぱに言うと、局地戦での戦闘力は兵力に比例し(第1法則)、広域戦・確率戦では兵力の2乗に比例する(第2法則)、というものです。
これを経営やマーケティングに応用したのが本書などのランチェスター思考で、シェアのないものがシェアのあるものと戦うために何をするべきか、ひとつの指針となります。シェアのない、つまり兵力の少ない側は局地戦に持ち込むか、相手の兵力を分散させて戦うことが求められますが、なぜそうなのかを理論立てて説明したのが本書となります。

本署の経営理論は非常に保守的で、目を引くような大胆な提案はほとんどありません。勝つには、当たり前のことを、当たり前にやることが求められるし、戦況は刻一刻と変化するのだから、昨日までの戦略が今日は使えないとわかれば、すぐにでも破棄して戦況にあった戦略を作るべきだということです。
いつでも逆転ホームランを狙って大振りを繰り返したり、過去の成功体験にとらわれて同じやり方に固執したりしているようでは、勝てる勝負にも勝てない、ということですね。

そしてもう一つ、大きな衝撃を受けた記述がありました。別のブログにも書きましたが、著者が「アマチュアの論理」と呼んでいる、ドラスティックな改革案の落とし穴です。現状の問題点の1つとその解決方法にしか目が行かないので、いま現在享受しているメリットや、改革案がはらんでいる問題点が見えなくなる、そのまま実行に移したことでより大きな問題となってにっちもさっちもいかなくなる、という状況です。
(詳細は著者・福田秀人さんのブログ『[持論] アマチュアの論理の脅威』をご参照ください)
歴史をひもといても、為政者が理想を追い求めたが故の急進的な改革や革命が、実行に移したことでデメリットが露呈し、それを強権で押しつぶしたことで大きな悲劇を招いてしまう、という事例はいくつもあげられるでしょう。
余談になりますが、現在の日本が抱えている問題、たとえば原発などエネルギー問題や、いじめなどの教育問題も、理想だけを語る改革案では「アマチュアの論理」に陥ってしまうでしょう。高い理想を掲げるのはよくても、そこに至るための道筋を具体的に見せられないようでは、理想に近づくことさえ叶いません。

話を戻して、経営の目標はトップシェアをとることと明確に定め、そのためには何パーセントのシェアを目標とするべきか、何段階かの具体的な数字を出しています。これらの数字は上述したランチェスターの法則に基づく数字となっており、裏付けのある数値目標が与えられたと言えます。
もっとも、目標が与えられても、そこに至るための行動指針が決まらなかったり、自分の中で咀嚼できなかったりするのですが(前にいた会社でもそうでした)。これはいくら理論を学んでも事例を調べても答えが載っているわけではなく、自分でひたすら考えていろいろやってみるしかないですね。

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2012年8月 5日 (日)

[読書メモ]中森勇人『心が折れそうなビジネスマンが読む本』

20120805__2心が折れそうなビジネスマンが読む本(中森勇人)

心が折れるような経験は、誰しも多かれ少なかれあるだろうとは思います。私自身、仕事で思うような成果が出なかったり、大きなミスをしてしまったりして心が折れそうになったことはあるし、(10年近く前ですが)その結果で体調を崩して2か月ほど休職したということもあります。
とはいえ、自分の経験に比べれば著者のほうがずっと波瀾万丈の生き方をしてきていますし、本にできるだけのことはあります。ただ、その分読者は自分のこととしてとらえられなくなって参考になりづらかったかもしれないし、自分事としてとらえてしまうと余計に心が折れる気分になったかもしれません。自分も、読んでいてつらい思いにさせられたところが何か所かありました。

フルタイムで雇用されていれば、1週間168時間の半分くらいは(通勤や休憩も含めて)勤務先に拘束されている、言い方を変えれば仕事に関わっているといえます。だから仕事で心が折れるような事態を避けるには、仕事そのものをポジティブにとらえていかないとならないでしょう。ワークライフバランスが叫ばれていますが、これは仕事以外の部分を軽視しすぎた反動で生まれたものであり、仕事が苦痛であるという前提があるのは違和感を持ちます。
話がそれましたが、自分に与えられた仕事をポジティブなものにする方法はいくつかあります。まずは与えられた仕事の意味を理解すること。私たちはロボットではなく、感情を持つ人間ですから、なぜその作業が必要なのか、いつまでに成果を出さなければならないのか、理解すればモチベーションにもなるし目標にもなります。「理由など説明する必要はない、いいからやれ」などという上司や経営者は今でもいるのでしょうか。いるとするなら、成果への障害となっているので改善を求めるべきでしょう。

もうひとつは、相手の立場からものを見てみること。ひとつの仕事には様々な利害関係者がいます。指示を出す上司もそうですし、顧客や取引先も成果物を享受する立場です。1つ目の話ともつながりますが、相手の立場から与えられた作業を見れば、なぜ自分がそれをする必要があるのかが見えてきますし、自分がそれをうまくやれば、あるいは逆に失敗すれば、誰にどんな影響があるのかも見えてきます。
上司が口うるさいのも理由があります。それは仕事を順調に進めるために必要なことを知らせてくれているのかもしれないし、自分に対する期待の大きさなのかもしれません。また、顧客を喜ばせるために何をすればいいのかという考え方から、気配りや改善も生まれてきます。これらは自分の立場からものを見ているだけでは決して気づかないし、気づいたとしても小手先のテクニックであって応用が利かないものになってしまいがちです。

本書で残念だと思ったのは、そういった他者の視点がなく、自分がうまく立ち回っていくためにどうすればよいか、という話に終始しているところです。著者は会社に疎まれ、追われた経験や、事業を立ち上げたときには資金を持ち逃げされた経験があるわけで、社会を信用できないと感じているのかもしれませんが、やっぱり何か違うよなあ、というところです。
仕事や自分を客観的、相対的にとらえること。そして逆に心が折れる行動、たとえば会社を休んだり辞めたりするのではなく、いつも通りの行動を積み重ねていくうちに時間をかけて気持ちを立て直していくことが、心を折らないためにとるべきなのではないでしょうか。

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2012年7月21日 (土)

[読書メモ]楠木建『ストーリーとしての競争戦略』

20120721__2 ストーリーとしての競争戦略 ― 優れた戦略の条件(楠木建)

企業がその存続のために求められているものとして、第一に利潤を追求することがあげられます。そのためには自分たちの製品やサービスを売らなければならず、競合製品との差別化を図ることになりますが、そこで出てくるのが「戦略」ということになります。
著者は経営学者であり、経営の現場に生きる人ではありませんが、学者としての経営理論が実地で生きるものではないと述べています。それはある企業の経営戦略が成功していても、同じ方法を理論化してどこでも真似できるものにはできない、ということを「知っている」からでしょう。
なぜ真似できないか、という理由として、本書タイトルともなっている「ストーリーとして」競争戦略ができているから、ということがあげられます。逆の視点から見ると、理論化された競争戦略はそのエッセンスだけを抜き出した静止画のようなもので、全ての戦略が1つのゴールに向けて動き出すための、つながりや時間軸を欠いたものとなってしまうからです。

競争戦略として、マブチモーター、アマゾン、ガリバーインターナショナルなどの成功事例と、いくつかの失敗事例が取り上げられています。成功事例に共通しているのは、戦略のコアが明確だったことと、ある部分だけ取り上げてみると、あえて不利になることをやっているように見える(実際には戦略のコアを実現するために必要なことをしているだけ)ため、他者が真似しなかったことであると述べられています。
一例を挙げると、マブチモーターの場合、戦略のコアとなるのはコストの削減であり、そのためにモーターの形状を製品似合わせてカスタマイズするのではなく、標準化した形状のモーターを納入して製品をそれに合わせさせていました。このことは業界の非常識であり、誰もが不可能だと考えていたのですが、品質とコストを両立させたことで受け入れられるようになってきました。その結果、多くの製品に同じモーターを使うため、モーター製造の稼働率が平準化される、在庫を管理しやすくなるなどのメリットが生じました。

このような「筋のいい」戦略を作るのは、著者いわくセンスの問題ですし、誰もが一朝一夕に習得できるものではないのだろうと思います。多くの事例を見て、自分で失敗を繰り返して、次第にセンスが磨かれていくものでしょう。また、実際にはたまたま戦略が当たっただけで、後付けでストーリーを作ったというものもあるのかもしれません。
それでもなお、成功した事例から、多くのことを学ぶ必要があります。美術品の真贋を見分けたり、審美眼を養ったりするのには、本物に多く触れる必要があるのと同様、多くの事例をケーススタディとして学ぶことで、どういう戦略がうまくいかないか、は見えてくるでしょう。必ず成功する方法はないとしても、成功の確率を高める方法として、本書を入り口に企業戦略を考えていくのは有効だと感じました。

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2012年7月16日 (月)

[読書メモ]ウィリアム・ジョーダン『シンプルに考えれば、強くなれる。』

20120716_シンプルに考えれば、強くなれる。(ウィリアム・ジョーダン)

原書は1898年に書かれた「The Kingship of Self-Control」で、世界三大自己啓発書の1つにあげられているとのことです。
日本では日清・日露戦争の時代、ヨーロッパではシャーロック・ホームズが活躍していた時代(最初に思いついたのがこれでした)ですが、意外と内容に古さはありません。自己啓発の内容が、言い換えれば人間というものが、この100年余りの間、思っているほど進歩してこなかったということでしょうか。そこまで厳しく言わないまでも、人の悩みというものは古今東西を通して変わらないものだ、ということはいえるかと思います。
自分も妻に「同じような本ばかり読んで……」と小言を言われたりしますが、自分の成長が実感できず、よりよい自己啓発書を探し求めてしまう、という状況に陥っているのかもしれません。

分量も少なく、内容自体もシンプルです。考え方もシンプルで、自分の弱い部分を捨て、強いところに特化して生きること。徳や愛をもち、相手に与えることをいとわないこと。常にベストをつくし、過去を悔やんだり将来を不安がったりする必要はないこと、そういったことが書かれています。
ところが、いざ実践しようとすると、周囲の目や空気や、目先の収入や安定した立場の存在が、障害となるわけです。そういった障害の乗り越え方は、どんな自己啓発書にも出てきませんね。自分のやりたいことをする、本当の自分がいるはずの場所に行くために、今の仕事や収入を捨てるリスクが発生するわけで、私はそのリスクをなくす方法が知りたいのに、どの本にも書かれていないか、書かれていてもそれ以上のリスクが発生してしまっています。
多くの自己啓発書が100年以上にわたって出版され、それでも自己啓発書を求める人が後を絶たないのは、やりたいことをするための確実な方法がないか、少なくとも示されていないということではないでしょうか。

とはいえ、リスクのないところで、自分の考え方を変えていくことはできます。人生を前向きにとらえることや、他人の悪いところではなくよいところを見つけることなどは、今の生活を変えなくとも実践できることでしょう。
小さな考え方の変化が、行動の変化を生みますし、そういった行動の変化は意外と周囲の人に見られています(自分も、勤め先の評価面談で感じました)。周囲の評価を気にしすぎることはないのですが、自分のしたいことが何であれ、それを実現するのに他者の協力は常に必要ですから、行動の変化が周囲の評価につながり、自己実現のステップになることは間違いありません。

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2012年7月 8日 (日)

[読書メモ]田中和彦『38歳から絶対やっておくべきこと』

38歳から絶対やっておくべきこと(田中和彦)

20120708_38 今年(2012年)で39歳になりました。1年遅れではありますが、こういう、今何をすべきか的な書籍は自分の生き方を見直す上で役に立ちます。
自分は著者のような華々しいキャリアは持っていませんが、自分にしかない経験を積んできたわけですし、それを生かすも殺すもこれからの自分次第、ということになるでしょう。
ただ、仕事で大きなミスをしてしまった直後でしたので、最初の「いつでも辞表を出せる状態にして仕事に臨む」というのには苦笑せざるを得ませんでした。本書で言うのは、「何でもやれる自由を持った中で今の仕事を選び、今の仕事が自由を得られないのであればいつでも離れるべきだ」という意味に取ったのですが、自分が退職届を携えると「ミスをしたので責任を取って辞めます」になってしまうので。行動は同じでも、意味が全く逆です(笑)。

大学生との対話の中で、「自由」という言葉の意味が違うのかもしれない、と話しているのが印象的でした。確かに、学生の頃までは宿題を筆頭に様々な義務が与えられ、その義務が免除されるという意味での自由ですが、社会人になると行動は義務ではなく選択肢となり、どの選択肢を選ぶかの自由となっています。その選択肢の数を増やすことが、私たちの生活を豊かにしていくことにつながります。
といっても、社畜になるな、起業せよ、といった意味ではなく(本書著者も大企業で長年働いていました)、企業勤めであってもその企業に依存した生き方ではなく、ほかの選択肢もとれるようにしておくべきだ、ということです。やり方はいくらでもあるはずですが、それにブレーキをかけているのは、変化を嫌い、将来の不安定の責任を回避する、自分自身です。

もちろん、金銭的な問題はあります。今の仕事を投げ捨てて、新たなフィールドへ挑戦しようとしても、安定的な収入を得られるかどうか不安で逡巡してしまう、というのは自分もそうですし。
ですがこれ、批判覚悟でいうと、 (金銭的にも思想的にも)貧しい人の思考回路なんですよね。収入が少ないから少ないなりの考え方しかしないし、結果や成果もそれなりのものにしかなりません。
本書にもありましたが、先に現実が変わることはないから、考え方を変えていけば行動も変わり、結果もついてきて、考え方次第の収入になる。そして金銭的にも経験的にも蓄えができるので、新たなキャリアを志すことができるようになる。お金持ちにお金が集まっていく構図を指をくわえてみていたり、批判的にとらえる意見も少なくないのですが、収入のある人はそれだけの思考と行動を伴っているので、より収入が上がりやすい、と考えればどうでしょうか。

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2012年6月13日 (水)

[読書メモ]渡邊奈々『チェンジメーカー』

チェンジメーカー~社会起業家が世の中を変える(渡邊奈々)

世界の社会起業家18人を取り上げ、それぞれの取り組みをまとめた書籍です。2005年の出版ですが、日本人も3人か取り上げられており、日本にも社会起業が根付きつつあるのを感じます。
社会のための活動としては、ボランティアやNPOといった、利益を求めない形での活動が一般的ですが、社会起業家として一定の収益を上げながら、社会のための活動を行っていく人も増えてきています。
位置づけ的には営利企業とNPOの中間ということになります。この位置での活動が増えていけば、社会貢献活動のあり方も、善意や奉仕に依存する形一辺倒から、持続可能なビジネスとしての方法もあるのだと認知されていくでしょう。

また、女性の活動家が多いことも感じました。営利企業のビジネスよりも、社会起業のほうが女性が活躍しやすいのかもしれません。男女の差はないはずですが、女性のほうが新しい形の活動に対してより積極的なのか、社会への問題意識が高いのか、いろいろな見解がありそうです。
社会起業家が女性の活動しやすいフィールドであるとするなら、社会起業を進めることは、女性の社会進出を促すことにもなり、日本にとっては一石二鳥の戦略ということにもなります。国を挙げて推し進めるべき、とはいわないものの、私たち一人一人が社会起業を理解し、差は買い起業家を応援、支援していく気持ちを持つことが必要だと言えます。

社会問題は、自分が知らないだけで、世界の至る所に見いだせます。貧困、病気、戦争、圧政、そして子供たちの問題など、そういった問題の影響受けていない自分たちが、いかに恵まれた存在なのかと感じます。
そしてそういった社会問題に苦しむ人々に、救いの手をさしのべる人たちは、本当に素晴らしい活動をしていると思います。また、理念だけでは具体的な行動に移せないので、社会を巻き込んで活動資金を得ながら、理念を実現するか藤堂を継続する姿勢には、ただただ頭の下がる思いです。
社会貢献をビジネスとして行うなんて、理念を営利で汚す行為だと考える人はいるでしょうか。もしいるとするなら、ボランティアに頼った活動では早晩行き詰まり、理念を達成できないのではないか、と考えるべきではないでしょうか。

あとがきの、日本人には恵まれない人に対するcompassionが足りない、という指摘を聞いて筆者が衝撃を受けたという話、自分も同様に感じました。昨今の生活保護受給の問題でもあらわになっていますが、物事を損得でしか考えず、思いやりを持たない非難は、私たちの心に何をもたらすのでしょうか。
もっとも、compassionがないのはずっと以前からの話で、学校教育の場でも形式的で実感を持たない「思いやり」が教えられてきていたし、そもそもcompassionの概念を説明する適切な日本語がないことが、何よりの証拠でしょう。

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2012年6月 3日 (日)

[読書メモ]石橋毅史『「本屋」は死なない』

「本屋」は死なない(石橋毅史)

以前から気になっていた一冊でしたが、今年から読書環境を電子書籍リーダーに切り替えたので、読める機会はないだろうと思っていました。なにしろ、電子書籍は印刷の本とは対立構造にあり、印刷の本しか扱わない書店にとっては電子書籍は商売敵でしかないですからね。それが電子化されたということ自体に、まず驚きました。

ここでいう「本屋」は、一般の書店ではなく、そこで働く書店員、それも本の並べ方や棚のつくり方にこだわりを持っている書店員をさしています。本書を読むまで、書店の品揃えはともかく、並べ方まで意識したことはなかったので、新鮮な気持ちで読むことができました。
著者は取材した店員の方々以上に、書店のあり方にこだわっているのかもしれません。棚のつくり方にこだわりがなく、ただ取次から送られてきた書籍を並べるだけの書店は嫌っているし、そういう売り方しか認めない大型チェーンの書店に対する嫌悪感を隠そうともしていません。

とはいえ、とは思います。著者がこだわっているほど、読者や一般の消費者は棚の中の本の配置に気を留めているとは言えないし、書店員もそれを理解していて、わかる人には書店員の意図やこだわりがわかるし、わからない人にも目的とする本や関連書籍を見つけやすい配置を目指す、そういう形にしているのであり、こだわりを押しつけているわけではないでしょう。
本屋も商売でやっている以上、経営を継続させることもミッションのひとつ。来店者の利便性を優先させて棚を作っているでしょうし、そこは著者のこだわりとは相容れない部分となっているかもしれません。
その辺りの対比というか、著者が自分の理想と現実との間で苦悩している姿も見て取れます。自分の理想を押し通そうとする著者と、現実の商売の立場からそれは不可能だとする書店側のギャップは、いつまでも埋まらないものではないかと思います。

著者や書店員のこだわりとは関係なく、書店はいまや重大な岐路に立たされています。新刊書を多数発行し、書店は返本前提でそれらを受け入れるというビジネスモデルが崩壊しつつあり、売れない書籍が多数出版される状況が出版社や書店の経営を苦しめています。また、ネット通販や電子書籍の販売も本格的になり、書店で本を買わない人も増えてきました(私もその中に入っています)。
そういった中で、書店や出版社がどのような生き残り策、あるいはビジネスモデルの変換を行えるかは、今後の出版のあり方を含めて注目すべき部分ですが、まだその見通しは立っていませんし、本書の射程とは別の部分の問題提起であるようにも思います。

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2012年6月 2日 (土)

[読書メモ]城繁幸『7割は課長にさえなれません』

7割は課長にさえなれません(城繁幸)

自分は1996年に大学を卒業し、以降ITベンチャーの世界で働いています。これまでに2回転職していますが、休職と転職活動中の数か月を除けば、ずっと正社員として職についていました。前にも書いたことがあるかもしれませんが、これを前提として感想を書きます。

自分は正社員として、恵まれた立場にいることは理解していたし、本書を読んでその思いをさらに強くしました。正社員と非正規(契約、派遣、パート、アルバイトなど)との差が大きすぎて、その間にあるべき雇用形態が事実上存在しないのが、問題だと考えています。日本では正社員イコールフルタイム勤務ですが、その概念を取り払って、週2日だけ働く(残り3日は別のところで働く)正社員があってもいいと思うのです。
また、無期限の雇用契約というのも、見直すべき、禁止するべきだと考えています。今の日本に必要なのは雇用の流動化です。雇用が流動化すれば、非正規雇用者や失業者を含めて働きがいのある職場の選択肢が広がりますし、雇用する側も本当に必要な人材を選べるようになり、これまでの沈滞ムードを一新することができると考えています。また、雇用契約が原則有期となれば、成果を出さないものが淘汰される形となり、正社員になれたからそれでいいと努力を怠ることもなくなる、という面もあります。

ということで、著者と自分との考え方に大きな隔たりはないはずなのですが、本書の内容にあまり共感できませんでした。既得権益を持つ、正社員や雇用側を露骨にいやらしく書きすぎているのが、自分には好ましく思えなかったという点があります。
自分が働いている、ITベンチャー業界は、それなりに雇用の流動化や能力給の制度が浸透していると思いますので、書かれているほど露骨な格差は見えてこない部分はあります。業界が変わると本書の記述がそのままの世界があるのかもしれませんが、正社員や雇用側を悪者に仕立て上げようとデフォルメを行っているように思えてしまいます。

そして、雇用の流動化と能力給の採用、正規雇用も非正規雇用も区別しない同一労働同一賃金の考え方は賛成なのですが、そうなったからと言って働く側が楽になるわけではなく、むしろ従来の正規雇用者はより厳しく、非正規の方々も状況が悪化しないまでも、好転することはないと考えています。
それでもこういった取り組みは行うべきで、なぜかというと、本人の努力次第で環境を好転させられるという希望が与えられるからです。現状、非正規雇用の側から見れば、正規雇用になる道は事実上閉ざされていて、希望が持てないわけですから、そこに大きな違いが生まれるでしょう。
本書の最終章で、雇用の流動化で働く側がパラダイスになるような描写がありますが、こういう結果を求めてしまうとまた失望するだろうな、と感じます。この辺りの描写は難しいですが、夢も希望も持てない現状から、状況は変わらないが希望が持てるようになったという変化を、もう少しうまく描いてほしかったと思います。

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2012年5月20日 (日)

[読書メモ]寺脇研『「フクシマ以後」の生き方は若者に聞け』

「フクシマ以後」の生き方は若者に聞け(寺脇研)

著者は元文部省の官僚で、ゆとり教育を推進した経歴もあります。本書はゆとり教育の目的と有効性を改めて示すとともに、昭和50年(1975年)代以降生まれの若い世代に強い期待をかけ、将来を託すべきだと主張しています。
著者が官僚を辞めた後の活動や、本書に登場する若い世代の実績などから、ゆとり教育を推進した言い訳やポジショントークなどではなく、硬直化したこの国の仕組みを変えたいと心から願っていることを感じましたし、そのために若い世代の力が必要だと考えているのが伝わってきます。

私は団塊ジュニア世代に含まれますが、この世代はバブルを知っている最後の世代であり、社会を変えようというエネルギーには乏しい世代だと感じています。自分も勉強会や読書会をいくつか開いていることもあり、自分より若い世代の活動を同世代の他の人よりは見ていると思いますが、若い世代の人のほうが、会社や地域のコミュニティ、あるいは従来常識とされていたものから離れ、自由に活動している人が多いと感じます。
国に変革を起こそうとか、社会の仕組みを変えていこうとか、彼らはそういった大それたことは考えていないかもしれません。ですが自分たちが暮らしやすいコミュニティを作るためにどうすればいいか、常識にとらわれずゼロベースで考えているのが彼らの強みであり、私たちより上の世代とは違うといえます。
国の将来を彼らに背負わせるのは荷が重いとしても、もっと小さな単位での、コミュニティのあり方を若い世代に委ね、その積み重ねとして社会や国がなるようになっていく、そういう方向性は模索するに値するのではないでしょうか。

ゆとり教育は基礎学力を低下させ、若い世代は知識が足りないまま社会人になった、という批判はよく耳にしますし、若い世代自身がその批判を受けて、自信を失っている部分は否定できません。
ですが、団塊ジュニアより上の左代は、日本の経済が再び成長するという、いわば夢物語を前提として、前例や常識に考えが縛られ、結局何も現状を変えられない。現状を維持して自分たちは逃げ切りたい、という人は少数派だとしても、残りの多数は現状を変える意思はあっても、その方法を持っていません。ですが、その下の世代は現状を変える方法を持っているし、実践しています。
ゆとり教育というのは、前例や常識にとらわれず、自分たちの目や耳で情報を収集し、自ら考えることで、正解のない問題に対して答えを出していくことを求めた教育だと認識していますので、そういう教育を受けてこなかった私たちよりも、ずっと柔軟な考え方ができるのは当然かと思います。

というわけで、若い世代には期待しますが、丸投げではいけないというのも難しいところ。若い世代は考える力と行動力はあっても、知識と経験は上の世代のほうがありますから、相互に補っていかなければなりません。
また、上の世代下の世代とざっくりと分けていますが、当然同じ世代でも人によって考え方の違いがありますし、知識や経験、行動力の多寡にも差があります。その辺りは個性や多様性として受け止め、個々人が自分の納得する判断と行動を取れるよう、応援していきたいと思います。もちろん、自分自身も行動できるところは行動していきたいですし。

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