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2006年4月

2006年4月28日 (金)

大内延介『将棋の来た道』『将棋の世界』

天童からの帰り、神保町のアカシヤ書店に寄ってきました。
ここは将棋と囲碁の古本を専門に扱っており、行くのは2回目になります。
(1回目は、店の場所も知らずに突撃したから、探し回ったあげく交番で道を聞きましたが)
将棋の本といっても、将棋の指し方や手筋や定跡を扱ったものばかりで、文化や歴史を扱ったものはごく少数なのですが、その中で1冊、大内先生の『将棋の世界』を購入してきました。
今回は『将棋の世界』と、前に買ってあった『将棋の来た道』をまとめて紹介します。

プロの棋士で将棋の歴史を研究しているのは、木村先生と大内先生くらいで、あとの方は将棋を指すか普及させるかに専念していますね。(飯田先生はコンピュータ将棋の専門家になってしまいましたが)
大内先生は、実際にアジア各国の将棋類を指すために現地に行き、将棋とマークルックの共通点を見いだして「将棋は東南アジアから伝来した」という考えを持っているようです。
マークルックとの共通点ですが、(1)前3方と斜め2方に進める駒 (銀将の動き) があること、(2)兵に相当する駒を3列目に並べること、があげられます。飛車角行のなかった二中歴の将棋と比べると、さらによく似ていると感じられます。
持ち駒については、いつ日本将棋に導入されたかは、何もいっていません。もちろん、マークルックにも持ち駒はありませんし。

『将棋の世界』は、1章で将棋の伝来、2~3章で江戸時代の家元、4章以降は近代から現代の将棋について書かれています。読み物としてはおもしろかったのですが、研究の役に立つかといえば、ちょっと微妙。

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2006年4月27日 (木)

遊戯史学会の例会

遊戯史学会の例会に参加したく、学会のほうにスケジュールを教えてもらいました。
(ついでに、持ち駒についての木村義徳九段の論文があったので、その論文集も買いました)
6月10日土曜日午後2時から、東京・表参道の青山学院大学会議室だそうです。

佐伯真一先生 (「普通唱導集」の将棋の記述を発見した方) と清水康二先生 (興福寺の将棋駒の発掘に携わった方) の講演などと、散会後は懇親会があるということです。

徳島からだと、帰りは夜行バスがぴったりの時間なのですが、行きをどうするか。飛行機、(神戸か大阪から) 新幹線、夜行バスの3つのルートがあり、ちょっと迷っています。安いのは夜行バスなのですが、睡眠不足になりそうなので肝心の講演を聞き逃す可能性がありますし。飛行機は特割があるので、値段的には新幹線と変わらないくらいになりそう。

どうやら、飛行機で行って夜行バスで帰るのが最善手のようです。交通費が往復で25000円くらいになりそうなので、参加すること自体が勝負手のようですが。それでなくても、3月に千葉、4月に天童、5月に大阪といろいろ飛び回っているので、交通費の余裕が……。

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2006年4月25日 (火)

天童に行ってきました(2)

4月23日、天童2日目。
この日は野月七段と村山四段の人間将棋の対局があるのですが、今日はいいかなということで、天童の街を散策してみました。
(これが橋本六段と瀬川四段の対局だったら、絶対に見に行っていたと思うのですが (笑) )

天童の街も広そうなので、駅前にあるバスターミナルに行って、路線と時刻の確認。
……。
天童市営バスは日曜日は全便運休でした。orz
あと、山形交通バスがあるのだけれど、これは比較的遠いところまで行っているようで、乗ってしまうとどこまで連れて行かれるかわかったものじゃないし。

Sn340075 駅にある観光地図を見てみたところ、駅から1キロくらいの距離にいろいろな施設があるので、歩いて行ってみることにしました。
オレンジの1~5の通りに行くと、将棋に関係するところを回れるようになっています。


Sn340076 まずは3の天童民芸館まで行ってみるか、と思ったのですが、どこかで道を間違えたらしく、通り過ぎてしまっていました。
その途中の電信柱にも詰将棋が! おもしろかったので写真を撮りましたが、まだ解いていません。結局パソコンに解かせてしまいました。


Sn340079 Sn340082 ポストにも、案内板にも将棋の駒がついていて、何でも将棋をつけておけばいいのかと小一時間問い詰めたくなりましたが、徳島では何でも阿波踊りにしてしまってますから、どこも同じなんですね (笑) 。


Sn340085 で、行き過ぎたあげく、たどり着いたのが4の「将棋の館」。中では将棋の駒を中心とした土産物の販売などをやっています。また、中将棋や泰将棋などの紹介もありました。店の片隅では超大型の将棋盤と駒があって、指せるようになっていましたが、残念なことに対局相手がいませんでした。

中では駒作りの実演をしていたのですが、左馬の飾り駒に漆を入れているところで、残念ながら実際の駒を作っているところはお目にかかれませんでした (店の中は撮影禁止でしたので、写真は残っていません) 。事前に予約すれば、有料で駒作りの体験ができたようですが、当然予約なんかしていませんし……。


Sn340103 店で見つけたおみやげで、懐かしさのあまりつい買ってしまったのが、この将棋パズル。子供の頃、実家にあったのを覚えています。いわゆる「箱入り娘」というパズルなのですが、天童だけに将棋バージョンになっています。娘の代わりに「王将」を下の口から出せばよいというわけです。

そのあと、天童オルゴール博物館へ。ここは直接将棋と関係ないのですが、ちょっと気になったので。でも入館料が1000円と少し値が張ったので、入らずに出てきました。


オルゴール館の隣に「わくわくランド」があります。ここは単なる広場で、とくに何があるというわけでもないのですが、なぜかプロ棋士が考えた詰将棋のプレートが置いてあります。

Sn340086 5手詰めなら自分でも解けそう、というわけで、頭をひねってみました。
▲3一角△同玉▲1三馬△同桂▲2一金まで、ということですね。4手目△2二金なら▲4二金でOK。


Sn340087こっちは……。私の頭じゃぜったい無理 (7手でも怪しいのに、23手なんて) 。というわけで、いつものごとく、パソコンに頼りました。


あとは将棋橋を見て帰ろうと思ったのですが、どうも道を間違えたらしく (こればっかり) 、かなり山のほうに来てしまいました。途中で道を教えてくださった小学校の用務員の方でしょうか、ありがとうございました。

倉津川 (将棋橋がかかっている川) をかなりさかのぼっており、国道13号を超えてしまっていたのですが、そこで驚くべきものを見つけてしまいました。

Sn340089 車がすれ違えるかどうかという小さな橋なのですが、その欄干に書かれた橋の名前は、

「角行橋」。

地図に載っていない将棋橋がありました。


Sn340096 川を下る感じで川沿いの道を歩き、地図に出ている将棋橋までたどり着きました。普通の行き方とは逆にたどったのですが、上流から龍王橋、飛車橋、桂馬橋、金将橋、歩橋、銀将橋、王将橋、おまけで一ツ橋と旭橋。地図に出ている将棋橋は、欄干に駒形のシンボルが立っており、たいそう立派なものでした。

角行橋はあったのですが、香車橋が見つかりませんでした。情報をお待ちします (嘘) 。


あとは駅まで戻って新幹線の予約を取り、昨日とは別のそば屋で少し早めの昼食を取って天童を後にしました。

山形までは鈍行で行ったのですが (鈍行にも乗りたかったし) 、こぎれいな車両になっており風情はあまりなくなっていました。駅に着いてもボタンを押さないとドアが開かなかったり、無人駅だと前後のドアしか開かないようになっているのには驚きでしたが。

山形駅の手前では、山形城の桜が満開になっていて、非常に綺麗でした。列車もゆっくり通ってくれたのですが、不幸にも反対側のシートに座っていたので、写真は撮れず……。

Sn340102 山形からは「つばさ116号」で、一路東京へ。2日間にわたった天童将棋旅行も、これで終わりとなりました。途中、かみのやま温泉駅のホームに、どこかで見たようなかかしがいたので、シャッターを切ってみました。青木さやか、ヒロシ、波田陽区、ですよね……。


電柱の詰将棋……▲2二角成△同銀▲2一龍△同玉▲3一角成△同銀▲3二銀△同銀▲2二金まで。
わくわくランドの23手詰め……▲3二龍△同玉▲4一角△同玉▲5二銀△3一玉▲3二金△同玉▲4三銀不成△同玉▲6一角△3二玉▲2四桂△同歩▲2三金△同玉▲3五桂△3二玉▲4三角成△2二玉▲2三銀△3一玉▲3二銀成まで。

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2006年4月24日 (月)

天童に行ってきました(1)

この土日、人間将棋が行われる天童に行ってきました。
徳島からは東京まで夜行バス、東京からは山形新幹線「つばさ」号で天童入りと、片道の総距離1000キロの長旅になります。
土曜日の朝6時前に東京・渋谷に入ってから新幹線の座席指定を取ろうとしたのですが、満席で予定した列車に乗れない。orz
みどりの窓口で開いている便を探してもらったのですが、一番早いので大宮9時26分発の「つばさ107号」。 (渋谷と大宮の間は「湘南新宿ライナー」で移動しました) 。2時間待ち、しかも山形止まり。山形で後続の「つばさ109号」に乗り換えて、次の天童駅に着いたのが12時6分。ぎりぎりセーフでした。

Sn340099

天童は駅舎も将棋の駒の形をしていました。改札が2階にあるので、ちょっとわかりづらいのですが、屋根がとがっていて五角形をしています。公衆便所の入り口も、上がとがった将棋の駒形をしていましたよ (笑) 。


Sn340032駅前の広場の舗装には、なんと詰将棋が埋め込まれていました。空いた時間に解こうと思ったのですが、自分の棋力では無理でした orz 。後でパンフレットに書いてある答えを見てしまいました (最後に答えを書いておきます) 。こういう詰将棋の舗装が、市内に19か所もあるということです。


Sn340037 そんなこんなで、シャトルバスに乗って舞鶴山へ。すでに準備が始まっており、多くのお客さんが来ていました。前座で地元の高校生の空手の演舞や、小学生の太鼓の披露などがありました。

天気はよかったのですが、山頂の桜はこれからが見頃という感じでした。この日は暖かく好天にも恵まれ、昼になるといくつか花がほころんできていたようです。


Sn340048 いよいよ入場。人間将棋を考案したのは豊臣秀吉だということですが、戦いの総指揮となるのはなぜか織田信長に扮した武将。後でわかったのですが、かつての天童藩は織田信長の末裔が藩主となっていたということです。


Sn340052 人間将棋の駒の方たちが定位置につき、指揮をとる千葉女流王将と甲斐女流初段も、鎧を身にまとって後方の櫓にのぼります。


Sn340055 いよいよ戦闘開始。先手の甲斐さんの四間飛車を、後手の千葉さんが居飛車穴熊で受ける戦型になりました。

甲斐さんが仕掛けて急戦模様となったのですが、千葉さんのほうに見落としがあり、最後は大差がついて甲斐さんの勝ちとなりました。


Sn340066 対局後、千葉さん (右) と甲斐さん (左) が解説の野月七段 (中央) とともに挨拶。好局に観客の皆さんから惜しみない拍手が起こっていました。ちなみに、野月さんはトレードマークだった金髪を黒髪に戻しており、今年は気合いが入っているのかもしれません。


Sn340031 天童駅に戻り、駅前の「将棋資料館」に。卒業研究ということで、学割 (200円) で入り、撮影の許可も得てきました (資料用なのでブログでは写真を出せません m(_ _)m ) 。

コーナーの半分以上は将棋の駒についてだったのですが、将棋の伝来や世界各地の将棋、大型の古将棋や軍人将棋などについても多くのスペースを割いていました。将棋資料館では、将棋はインドのチャトランガに始まり、東南アジアを経由して日本に伝来したのではないか、という増川先生の説を採用しているようです。

将棋の駒については、ほとんどが彫り駒かスタンプだと思っていたのですが、天童では伝統的な「書き駒」(駒に漆で直接文字を書く) も残っているということでした。天童独自の草書体の駒もいくつか見かけたのですが、個人的には読みづらいと思ってしまいました。

将棋の歴史や世界の将棋についてまとめた書籍や論文集もあり、中でも梅林勲先生と岡野伸先生の「世界の将棋」は、買い取りたいくらいだったのですが、さすがに非売品。遊戯史学会の「遊戯史研究」も何冊かありました。

閉館時間が近づいてきたので、駅前の物産館でおみやげを買って、近くのそば屋で一人で夕食。天童はそばの名産地でもあります。その後ホテルに戻って早めに休みました。2日分の予定が1日で片付いてしまったのですが、2日目は天童市内を散策してみることにしました。残りは後ほど。

詰将棋の答え……▲1六金△同桂▲2四金△同玉▲3六桂△2三玉▲2二飛△1三玉▲2四金 まで9手詰め

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2006年4月18日 (火)

アイデアプロセッサ

基本的に面倒くさがりなので、頭の中で構想を練って、いきなりワープロに書き始めるスタイルを取っていたのですが、やはり限界がありそうなので、メモを取るツールを探してみました。
アイデアを短い文章で表現し、いくつもの文章が有機的に結合するようなツールがあればいいと思っていたのですが、ベクターで探してみたところ、「Nami2000」というフリーウェアがありました。
(これを見つける直前まで、「IdeaTree32」を紹介しようと思ったのですが、こちらはシェアウェアなんです……)

まだ使い始めですが、そこそこの長さのテキストが書けて、テキストの断片をつなぎ合わせて1つのファイルとするので、自分のメモの取り方に合っていそうです。
ある程度の長さ (放送大学だと2万字) の論文を書こうと思ったら、頭の中だけではやっぱり無理がありますよね。皆さんはメモを取るのにどうやっているのでしょうか。

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2006年4月16日 (日)

ゼミの配付資料

5月7日のゼミに向けて、配付資料を作成しています。
まだ3週間あるのですが、来週は天童に行くし、再来週からはゴールデンウィークに入って遊びまくりそうなので、できるうちにということで。

1人30分程度の発表時間をもらえるということなので、要点を箇条書きにしてA4で2枚くらいのものを作ってみました。
まずは1回目、顔合わせ程度と思うので、それほど深い話はできないでしょうし、自分がなぜ将棋の伝来の歴史というテーマを選んだかということと、いつどこから将棋が伝来したと考えられているかをまとめてみたいと思っています。

ほかの2名の学生さんは、どんなテーマで研究を進めるのか、その点も気になります。お互いに切磋琢磨していければいいのですが。

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2006年4月14日 (金)

名人戦の主催者問題

卒業研究から少し離れて、いま世間を騒がせている名人戦の主催問題について。
現在の名人戦は毎日新聞の主催ですが、2007年の順位戦、2008年の名人戦から、朝日新聞が主催することになると報道されています。
歴史的には、1937年に東京日日新聞 (現在の毎日新聞) の主催で始まり、1950年からは朝日新聞、1977年からは再び毎日新聞と、朝日と毎日の間で取り合いをしている状況です。朝日はタイトル戦を主催せず (準タイトルの朝日オープンを持っています) 、名人戦を主催することは長年の悲願だったということもあります。

どうなるかはわかりませんし、どうあるべきかもわかりません。
インターネットにあがっているファンの意見をみても、人それぞれですし、「朝日=悪」と決めてかかっている意見もあったりして眉唾物だったりします。
最悪の事態を想定すると、毎日新聞系列の日刊スポーツが王将戦を降りて、朝日オープンが終了して棋戦が2つ減ること。こうなると名人戦の契約金が上がってもどうしようもないように思います。
朝日が名人戦にこだわらず、名人戦以上のタイトルを創設して、名人・竜王と並ぶ3大タイトルの形になればいいのかなあ。あと、全局ネット中継くらいの気合いの入った公式戦がもう1つ2つ増えればベストなのですが。

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2006年4月13日 (木)

mixi で紹介されました

mixiのコミュニティで、このブログが紹介されていました (リンク先は mixi に参加している人だけ閲覧できます) 。
ブログのアクセス解析をしていてたまたま見つけて、mixi に入っていたので早速コミュニティに参加して返事を書いたら、紹介した人が驚いていました (笑) 。
そこで紹介されていた、将棋の伝来について書かれたブログも見てみました。トラックバックしてありますが、うまく読み取ってくれるかな。

コミュニティの書き込みの中に、沖縄地方の将棋である「チュンジー」のことを書いている方もいました。グーグルで調べてみたのですが、中国のシャンチーが沖縄に入ったもののようで、ルールはシャンチーにかなり近いようです。日本将棋の伝来よりずっと遅れて、中国大陸から沖縄に入ったものと考えるのが妥当なようです。

PS.
ネットで購入した「土・日きっぷ」が送られてきました。これで間違いなく天童に行けます。
新幹線の指定席も取れて、新幹線が天童に直通しているので、わりと行きやすいですし。

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2006年4月11日 (火)

天童行きのきっぷ

4月22~23日に、天童に人間将棋を見に行くことにしています。
ついでに天童駅前にある将棋資料館にも足を運んで、将棋の歴史について知識を深めてくる予定です。
あと、無料の道場も開いているらしいけれど、こちらは混んでいそうだし、行かないかも。

で、今日、「土・日きっぷ」の購入手続きをしてきました。JR東日本の北東北を除くエリアが土日の2日間乗り放題になるきっぷです。
JR東日本管内でしか販売しておらず、徳島では普通には入手できないのですが (全国発売してくれればいいのに……) 、ネット販売しているところを見つけて、今日お金を振り込んできました。
先週の金曜日に申し込んで、「4月10日までに振り込んでください」となっていて、1日遅れたので大丈夫かどうか多少心配ですが、まあ何とかなるでしょう。

徳島から東京までの往復は夜行バスになります。かなり強行軍ですが、こんな無茶ができるのも若いうち。といいつつ、来月33歳になってしまうわけですが (笑) 。

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2006年4月 8日 (土)

徳島学習センター

徳島学習センターが移転して初めて、行ってみました。
(上のリンク先はまだ移転する前の情報ですね)
常三島にある徳島大学の工学部の校舎を間借りしていたのが、新蔵町に新しくできた日亜会館の中に移転していました。
で、写真。

Sn340022_1
傾いた……。orz
やり直し。

Sn340023
もっと傾いた……。○| ̄|_

とりあえず、この中の3階にあります。
きれいな建物で、設備が全部建物の中に入り (以前のセンターは廊下が外に面していました) 、事務室に受付窓口ができるなど、やっとほかのセンターに追いついたと思う部分もあります。
図書室と再視聴室が同じ部屋になり、少し手狭になっているかもしれません。

でも、このセンターを使うことがないんですよね。もう授業は受けないし、ゼミも大阪ですから。

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2006年4月 7日 (金)

ゼミのお知らせ

放送大学から郵便が来て、5月7日に大阪で1回目のゼミを行うと連絡がありました。
5月7日は、会社の野球部の試合が入っていて、できればこの日は外してほしかったのですが、ゼミを優先するしかないですね。野球のほうが雨で延びればいいのですが。

ゼミの場所は大阪学習センター。行ったことはないのですが、天王寺の大阪教育大学の中ですね。高校受験で大阪教育大学付属天王寺校舎に行っているので(落ちました orz)、15年以上ぶりになります。

手紙の内容によると、大阪でゼミを受ける学生が3人ということのようです。
この人数だと1人も脱落できないし、もう少し人数がいたほうが充実したゼミになりそうなのですが、東京まで行ったほうがよいのでしょうか。

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2006年4月 5日 (水)

将棋雑考

幸田露伴の『将棋雑考』(將棋雜考)、図書館から全集を借りてきて読んでみました。
書かれたのが明治33年9月となっているので、西暦に直すと1900年。100年以上、世紀でいうと2つ前のものなので、かなり読みづらいです。
外来語の表記も現在のものとは違っていて、ひらがなで書かれています。将棋の源流とされる「チャトランガ」が「ちゃつらんが」だったり。

シャンチー(雑考の中では「支那将棋」)のもっとも古い資料とされる、牛僧孺の「玄怪録」の記載も出ていました。原文をどこかから探してこなければならないかと考えていたので、結構助かります。

寳應元年汝南岑順、夢一人被甲報曰、金象將軍與天那賊會戰、順明燭以觀之、
夜半後東壁鼠穴化爲城門、有兩軍列陣相對、部伍既定、軍師進曰、
天馬斜飛度三疆、上將横行撃四方、輜車直入無廻翔、六甲次第不乖行、
於是鼓之、兩軍倶有馬、斜去三尺止、又鼓之、各有一歩卒、横行一尺、
又鼓之、車進、須臾砲石亂下、云々、後家人覺其顏色慘悴、因發掘東壁、
乃古冢有象戯局、車馬具焉。

あと、産経新聞の「はじめて書かれる地球日本史」に紹介されていたのですが、
シャンチーが現在の形になる前のものが日本に伝わったと考えていたらしいです。
この意見には私もうなずけるものがあります。
というか、自分が新説として書いてみようかなと思っていたのに……。

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2006年4月 2日 (日)

将棋の民俗学

天狗太郎『将棋の民俗学』を読み始めました。
1992年の本で、そのあとの知見は含まれておらず、興福寺の将棋駒などについては言及されていないのですが、一乗谷の朝倉駒の記述は入っているので、資料として使えないものではなさそうです。

天狗氏は将棋は中国大陸を経由して日本に伝来したと考えているようです。理由としては日本・中国・韓国の将棋の駒が文字を書いた形状で、そのようになっている将棋・チェス類は他に存在しないということ。ルールの違いというのはどのように考えておられるのでしょうか。

また、朝倉駒にあった「醉象」にも言及しています。醉象は現在の将棋にない駒ですが、成ると「太子」となり、玉将と同じ働きをします (玉将が2枚になります) 。現代将棋から醉象がなくなった理由として、戦国時代、1つの国に2人の王はいらないということから、2人目の王となる醉象・太子が取り除かれ、それによって持ち駒のルールが適用可能になったとしています。

まだはじめのほうしか読んでいないのですが、ほかに気になったのが、『鳥獣戯画』の将棋を指している場面を取り上げていることです。盤の大きさが7×7とも9×9ともされているのですが、いずれにしても絵なので、それほど厳密に描かれているわけではないと思うのですが。

ところで、天狗太郎 (山本亨介) さんって、まだご存命でしたでしょうか。1923年生まれということですので、現在83歳ということになりますが。

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2006年4月 1日 (土)

手元にある本

今年度、放送大学の卒業研究を行うことになりました。
テーマは「現代将棋成立の過程――持ち駒再利用のルール」。
将棋はご存じの人も多いと思いますが、どのように将棋が成立したかについては
よく知られていないことが多く、研究の対象になると考えています。

資料は、できるだけ図書館で借りてすませるつもりだったのですが、
この本は手元に置いておきたい、というものが結構出てきて、
出費も多くなってしまいます。

購入した本のリスト。

  • 増川宏一『将棋の駒はなぜ40枚か』集英社新書、ISBN 4-08-720019-1
    増川先生は将棋をはじめとする遊戯史研究の第一人者。
    先生の研究を知るのが、今回の卒業研究の第一歩になります。
  • 木村義徳『持駒使用の謎』日本将棋連盟、ISBN 4-8197-0067-7
    木村九段 (引退しましたが元プロ棋士です) のある意味過激な将棋起源論。
    「えー、それは違うでしょう」と思うところも多いわけですが……。
  • 大内延介『将棋の来た道』小学館、ISBN 4-09-416541-X
    こちらもプロ棋士の大内九段が将棋の起源を求めて、アジア中を回ります。
    将棋と似た形のゲームが、中国・韓国・タイ・インドなどにもあるのです。
  • 天狗太郎『将棋の民俗学』作品社、ISBN 4-87893-171-X
    天狗太郎さんは、増川先生の前ではほぼ唯一といえる将棋史の研究者。
    入手したばかりでまだ目は通せていませんが、目次だけ見ていてもおもしろそうです。
  • 山本亨介『将棋文化史』光風社
    ネット上になく、アカシヤ書店という囲碁・将棋関連専門の古書店で入手しました。
    ちなみに、山本亨介さんと天狗太郎さんは同じ人です。
  • 尾本惠市『日本文化としての将棋』三元社、ISBN 4-88303-109-8
    上記の方々などの研究成果を一冊にまとめたもの。
    内容は他の本と重なるので、直接参考文献になることはなさそうですが。
  • 『遊戯史研究』第5巻、第6巻
    遊戯史学会が毎年出している論文集。
    第5巻では鎌倉時代の「普通唱導集」にある将棋関連の念仏、第6巻では奈良の興福寺跡から発掘された11世紀の将棋の駒 (発掘されたものでは最古) の調査結果があります。
  • 『考古学ジャーナル』1998年3月号
    「将棋の考古学」を特集した号です。
    興福寺からの出土駒については、こちらにも詳しく出ていました。

図書館で借りたことがあるのは、以下のもの。

  • 増川宏一『ものと人間の文化史 将棋1』法政大学出版局、ISBN 4-5882-0231-6
    将棋の歴史を語る上では欠かせない1冊。
    起源についてはかなり書かれているものの、持ち駒についてはよくわからないという感じでしたが。
  • 永松憲一『将棋の駒はなぜ五角形なのか』新風舎、ISBN 479742365X
    西遊記や陰陽道の考え方をもとに将棋の起源を探る本ですが、「なぜ五角形なのか」には明確な回答が出ていません。
    ちなみに新風舎は自費出版の書籍を扱うところで、自分もあわよくばと考えていたりします。
  • 幸田露伴『露伴全集 19』岩波書店
    なぜ幸田露伴? と思われそうですが、ここに「将棋雑考」という文章が入っています。
    1900年に書かれたもので、文語体で読みづらいのですが、現在解読中。
  • その他
    平安時代から戦国時代にかけての日本史や、唐から北宋の時代の中国史の解説書も借りています。
    背景となる歴史を全く理解していないと、頓珍漢なほうに行きかねませんので。

参考資料はこのようなあたりから始めていこうと思っています。
ブログは、このあと進捗があればその都度書き足していく予定です。
毎日の更新にはならないと思いますので、ご了承ください。

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