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2006年4月 2日 (日)

将棋の民俗学

天狗太郎『将棋の民俗学』を読み始めました。
1992年の本で、そのあとの知見は含まれておらず、興福寺の将棋駒などについては言及されていないのですが、一乗谷の朝倉駒の記述は入っているので、資料として使えないものではなさそうです。

天狗氏は将棋は中国大陸を経由して日本に伝来したと考えているようです。理由としては日本・中国・韓国の将棋の駒が文字を書いた形状で、そのようになっている将棋・チェス類は他に存在しないということ。ルールの違いというのはどのように考えておられるのでしょうか。

また、朝倉駒にあった「醉象」にも言及しています。醉象は現在の将棋にない駒ですが、成ると「太子」となり、玉将と同じ働きをします (玉将が2枚になります) 。現代将棋から醉象がなくなった理由として、戦国時代、1つの国に2人の王はいらないということから、2人目の王となる醉象・太子が取り除かれ、それによって持ち駒のルールが適用可能になったとしています。

まだはじめのほうしか読んでいないのですが、ほかに気になったのが、『鳥獣戯画』の将棋を指している場面を取り上げていることです。盤の大きさが7×7とも9×9ともされているのですが、いずれにしても絵なので、それほど厳密に描かれているわけではないと思うのですが。

ところで、天狗太郎 (山本亨介) さんって、まだご存命でしたでしょうか。1923年生まれということですので、現在83歳ということになりますが。

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コメント

そうなんですか。醉象ってそれで無くなったんですか。太子って天皇なのかなぁと思ってました。貴ブログは勉強になりますね!

何ヶ月前かの近代将棋に、朝倉将棋(小将棋)について、女流棋士の体験記事が載ってて、興味を持ってました。

投稿: 将棋は指すのが専門のアマチュア二段 | 2006年4月 2日 (日) 22時40分

実際のところは、はっきりとわかっているわけではありませんが、残されている資料からいろいろな研究者がもっともらしい説をあげているという状態です。

江戸時代の将棋解説書である『諸象戯図式』や、名人の家元だった大橋家に残された文書によると、天文年間 (1532~1554年) に後奈良天皇が醉象を除かせたという伝承も書かれていたりします。

投稿: Tamago915 | 2006年4月 2日 (日) 23時01分

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