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2006年10月15日 (日)

10/22 ゼミの資料

卒業研究で受けていたゼミも、次回で最終回です。

いつものとおり、レジュメを公開しています。
※要一太郎/一太郎ビューアです。一太郎ビューアは無料でダウンロードできます (10月13日にアップデートしています) 。
ここでは公開しませんが、論文の初稿 (枚数が大幅にオーバーしているもの) も持って行く予定です。

結局、穏当というか、慎重すぎる説に落ち着いたような気がしますが、自分なりに論を組み立てていったところ、16世紀前半に持ち駒ルールが導入された、という結論に達しました。
時代を確定することは難しいだろうから、少しでも早い時期に導入されたというほうが、世間へのインパクトは高かったと思うのですが、自分の方法論だと矛盾してしまうか、無理な説明を要求されてしまいます。それだとやっぱりまずいのかなという気はしますし。

提出日 (11月10日本部必着) まであと1か月を切りましたが、推敲と内容の圧縮をして、なんとか25ページにまとめたいと思います。

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コメント

Tamago915さんへ

 こんにちは。
 持駒採用について紹介いただいたこともあり、コメントさせていただきます。

 さて、率直な感想を先に言いましょう。
 Tamago915さんが導いた結論は、「醉象を取り除いて、今日ある制度として確立した時期」であって、テーマに掲げた「持駒再利用開始の時期」とは異なりますね。
  
 少なくとも、「普通唱導集」で持駒制度の導入は確実視されるのに、「持駒再利用開始の時期」をこれより遅らせるのは、論理的に成り立たないでしょう。

 ポイントは「醉象」の取り扱いですね。
 Tamago915さんの場合、「将棋」の改良過程における必要なプロセスと捉えています。私の場合はというと、「将棋」の改良過程において、過度的に多種類の変型が考案されたものの一つに過ぎないと捉えています。
 
 すでに定着していた持駒制度との相性の悪さゆえに盤上から取り除かれたことは疑いがなく、取り除かれた事実からみて必然性ある改良といえなかったのではないでしょうか。
 
 あと、
「時代を確定することは難しいだろうから、少しでも早い時期に導入されたというほうが、世間へのインパクトは高かったと思う」という表現も気になります。

 Tamago915さんは随所で木村義徳氏批判をされていますが、「インパクトが高いから、(無理に)早い時期を想定する研究家がいる」という主旨の言い回しには違和感を覚えます。

 Tamago915さんにとって、私も木村氏と同様の取り扱いになっているのかもしれませんが、私の場合、求めているのは「真実」であって、「世間へのインパクト」ではありません。

 たとえば、「興福寺の駒が最古であって、それ以前のことを語るのは揣摩臆測に過ぎない」という研究家もいます。
 そういう研究家のコメントを過去から現在までつぶさに追ってみてください。
 実はきちんとした「将棋史観」を持っておらず、新しい発掘があるたびに場当たりで一貫性のないコメントしか出せないことに気づいてほしいと思います。
 問われているのは、論理的で確たる「将棋史観」なのではないでしょうか。

 いささか、きつい表現になりましたが、同じ道を志す者としての叱咤激励だと思っていただけると幸いです。よろしく、お願いします。

 小沼 諒

投稿: 小沼 諒 | 2006年10月17日 (火) 15時22分

コメントありがとうございます。
ブログサービスがメンテナンスに入っており、お返事が遅れてすみませんでした。

論文自体はまだ公開できないのですが、
>少なくとも、「普通唱導集」で持駒制度の導入は確実視されるのに、
ここがすでに私の見解と相違しています。
持ち駒のないチェスでも駒を「交換する」といいますし、「替ふ」という表現をもって持ち駒制度があったと見なすことはできないと考えています。

>すでに定着していた持駒制度との相性の悪さゆえに盤上から取り除かれたことは疑いがなく、
ここも私は違うように考えています。
持ち駒と酔象が同時に用いられていた時期は非常に短かっただろうと考えていますので、持ち駒→酔象・飛車・角行追加→醉象を除く の順だと、42枚制の小将棋が記録に残されたという事実を説明するのが難しくなります。
というのも、この順だと、「持ち駒と酔象が同時に用いられていた時期」と「42枚制の小将棋が存在していた時期」がイコールになるので、記録に残るにはあまりにも短すぎるし、失敗作だったものを後世に記録しておくだろうか、という疑問も生じます。

>私の場合、求めているのは「真実」であって、「世間へのインパクト」ではありません。
それは理解しています。インパクトがほしくてより古い年代を提案するというのは、将棋に関する話だけではなく、いろいろな歴史研究で起こしがちなことなのではないかと感じました。私自身、論文をまとめていて、結論がつまらなくなったけどいいのかな、と思ったことは1度や2度ではありませんし。
将棋の歴史に関していえば、文献資料や出土品が限られているだけに、それらをどのように解釈するかは研究者ごとに違ってくると思います。その中でいかに論理的な結論を求めるか、そのことを肝に銘じておきます。

投稿: たまご915 | 2006年10月19日 (木) 23時09分

 志を同じくする方と踏み込んで意見交換できることを、心からうれしく思います。ITの進歩に感謝します。さて、

「持ち駒のないチェスでも駒を「交換する」といいますし、「替ふ」という表現をもって持ち駒制度があったと見なすことはできないと考えています」

 いささか苦しい理屈ですね。(笑)ともあれ、「普通唱導集」の表現を持駒制度導入済と解釈するのが素直な解釈であり、その可能性を否定することに対しては、Tamago915さん側に説明責任があることは理解してください。

「持ち駒と酔象が同時に用いられていた時期は非常に短かっただろうと考えていますので、持ち駒→酔象・飛車・角行追加→醉象を除く の順だと、42枚制の小将棋が記録に残されたという事実を説明するのが難しくなります」

 「42枚制の小将棋が記録に残されたという事実」とは、「諸象戯図式」のことを指しているのでしょうか?
 Tamago915さんもよく知ってのとおり「諸象戯図式」において、「小象戯(小将棋)、和象戯(和将棋)、中象戯(中将棋)、天竺大将棊(天竺大将棋)、太象戯(大将棋) 、太太象戯(大大将棋)、摩訶太太象戯(摩訶大大将棋)、大象戯(泰将棋)」など、様々な「変り種将棋」が紹介されています。
 「諸象戯図式」に紹介されたこと自体、(結果として)42枚制の小将棋は40枚制とは別に存在した「変り種将棋」と解釈するのが自然ではないでしょうか。

 なお「持ち駒と酔象が同時に用いられていた時期は非常に短かっただろう」という点については同感です。

 「酔象」はそもそも「飛車(龍王)、角行(龍馬)」と同じく太象戯(大将棋)で開発された後、「小将棋」に導入された駒です。おそらく、酔象・飛車・角行すべて、ほぼ同時期に小将棋への導入が試みられたのではないでしょうか。

 飛車と角行については、すでに導入されていた持駒制度と相性がよかったけれども、酔象は相性がよくなかった。
 だから、飛車と角行は残して、酔象だけ取り除いた。いかがでしょうか。

 小沼 諒

投稿: 小沼 諒 | 2006年10月20日 (金) 00時30分

>ともあれ、「普通唱導集」の表現を持駒制度導入済と解釈するのが素直な解釈であり、その可能性を否定することに対しては、Tamago915さん側に説明責任があることは理解してください。
「替ふ」をどのように読むかですね。持ち駒の概念がなければ「替ふ」という表現をしないのかというと、そうでもないと思います。
この部分については、当面の間論争になると思います。こっちが苦しいかでしょうか……。

>「諸象戯図式」に紹介されたこと自体、(結果として)42枚制の小将棋は40枚制とは別に存在した「変り種将棋」と解釈するのが自然ではないでしょうか。
なるほどですね。ただ、大内延介九段の『将棋の世界』(44ページ) に、同じ内容が書かれた大橋家の文書が見つかった、という記述もあります。

>「酔象」はそもそも「飛車(龍王)、角行(龍馬)」と同じく太象戯(大将棋)で開発された後、「小将棋」に導入された駒です。おそらく、酔象・飛車・角行すべて、ほぼ同時期に小将棋への導入が試みられたのではないでしょうか。
ここは同じ意見です。
ただ、私は、これらの駒の導入がかなり早い段階で行われ、その後に持ち駒が導入されたために酔象が取り除かれた、という方向を想定しています。

論文まで間がないですし、自分の意見は大きな修正はしないで提出したいと思います。
異端的なものになるかもしれませんが、自分の論文が将棋史の研究の役に立つと信じて、というか願っています。

投稿: たまご915 | 2006年10月20日 (金) 09時07分

Tamago915さんへ

「大内延介九段の『将棋の世界』(44ページ) に、同じ内容が書かれた大橋家の文書が見つかった、という記述もあります」
 詳細な内容がわかれば、教えてください。

「私は、これらの駒(酔象・飛車・角行)の導入がかなり早い段階で行われ、その後に持ち駒が導入されたために酔象が取り除かれたという方向を想定しています」
 今後、「持ち駒導入の根拠」自体をきちんと示すように努めてください。

「論文まで間がないですし、自分の意見は大きな修正はしないで提出したいと思います。」
 こちらも、これ以上、Tamago915さん論文作成の邪魔をすることは本意ではありません。

「異端的なものになるかもしれませんが、自分の論文が将棋史の研究の役に立つと信じて、というか願っています。」
 気概は大いに結構だと思います。お互い、将棋史の研究に寄与するよう、がんばりましょう。

 小沼 諒

投稿: 小沼 諒 | 2006年10月20日 (金) 21時21分

>詳細な内容がわかれば、教えてください。
あまり書くと著作権侵害になるので、事実関係の部分だけ紹介します。

11代宗桂が初代宗桂の追善のために、1831年(天保2年)に浅草寺に石碑を建立しています。1981年に日本将棋連盟に寄贈された大橋家文書の中に、その碑文の拓本があり、内容は以下のようになっています。
「後奈良天皇は将棋を好み、その臣、藤原晴光、伊勢守平貞孝は将棋の技に優れていた。この2人が相談し、酔象の駒を除いて、40枚の駒で常時将棋を行うようになった。これが今の将棋である」

私も原文を見たいところなのですが、連盟にコネはありませんし……。

投稿: たまご915 | 2006年10月20日 (金) 23時36分

Tamago915さんへ

大内延介九段の『将棋の世界』は手許にありませんでしたが、「後奈良帝が日野亜相藤晴光、林伊勢守平貞孝等に命じて酔象の駒を除く」という伝承は承知しています。
ご報告、ありがとうございました。

 小沼 諒

投稿: | 2006年10月21日 (土) 14時10分

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