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2006年12月

2006年12月 9日 (土)

リジェクト……。

今朝、学会から郵便物が届きました。大きさ的に先週渡した論文が入っていそうで、この時点でイヤな予感がしていたのですが、……。

結論から言うと、論文は査読された結果、受け取ってもらえないということになりました。これまでの研究のまとめに過ぎず、新しい知見がないということが主な理由ということです。そして、同封の手紙 (増川先生が書かれたもの) には、今後の研究の方向についてのアドバイスがありました。

さて、と。今後の選択は3つ。

  1. 研究を打ち切り、遊戯史に興味を持つ個人としててきとうに活動する。
  2. 無所属の研究家として、てきとうに活動を続ける。
  3. どこかの組織 (放送大学の大学院がいちばん手っ取り早いかな……) に所属して、成果を上げないといけない状態に追い込んで研究を続ける。

本気でやるなら答えは1つなのですが、そこまでやる熱意や自信が自分にあるだろうかと、自問自答。簡単には答えは出ませんし、大学院に進むにしても来年試験を受けて、入学するのは再来年 (2008年) になるので、考える時間はたっぷりあると思っています。

念のため。放送大学の卒業論文としてはリジェクトされていないので、卒業できなくなるということはないと思います……たぶん。

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2006年12月 7日 (木)

興福寺習書木簡の「酔像」

先週の土日、遊戯史学会の講演会に参加して、論文も渡してきたのですが、ちゃんと査読していただけるのだそうです。手直しが必要かもしれませんが、来年の学会誌に掲載されればいいなと思っております。

最古の将棋駒とされる興福寺の出土駒ですが、同時に習書木簡が出土しています。文字が重なってほとんどは読めないのですが、「歩兵」「金将」のほか、「酔像」と読み取れる部分があります。
興福寺駒の出土時期と二中歴の時期が重なるので、これをもって「二中歴の将棋には酔象があった」と見なす研究者も少なくありませんが、そこまで断定するのは危険なのではないか、と感じています。それが論文の上では「乱暴な考え方」という表現になってしまい、適切さを欠く表現になったと反省しています。

酔象が飛車角より先行していたとしても、酔象の動きや初期位置、成り駒はどうなるか (中将棋では太子だが、そのような発想がすでにあったのか) など、疑問点も多いです。玉将の上に酔象を配置した38枚制の将棋があったかどうかも、はなはだ疑問ですし。

橿原考古学研究所の清水康二氏は、興福寺の「酔像」は「瑞像」に通じ、瑞像とは「釈迦瑞像」のことであるとしています。また、玉将の「玉」は、まわりを金・銀・桂・香で囲むことから、仏舎利になぞらえられ、やはり釈迦そのものを指したのではないかとされています。

とすると、酔像と玉将は同格であったのかもしれません。お釈迦様が2人いるのもヘンな話なので、一方が玉将を、他方が酔像を持って対局したとか、いろいろ想像はできます。それが二中歴の時代には玉将に統一され、「酔像」の名前は習書木簡に残るだけになったとか……。

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2006年12月 1日 (金)

総会&講演会に行ってきます

明日、東京で遊戯史学会の総会があります。
世界における将棋の成立について、4人制と2人制のどちらが先であったかというテーマで増川先生の講演があり、これがいちばんの楽しみです。
あと、卒業論文で書いたものと同じ内容で、学会誌 (遊戯史研究) に投稿するつもりなので、その原稿を持って行きます。受け取ってもらえるかなあ……。

準備万端だったはずですが、すでにトラブル発生。
少しでも費用を抑えようと、神戸空港からの飛行機 (東京まで1万円) を使うのですが、神戸に行くバスの切符を、1時間遅く間違えて取っていました。(^^;)
切符を買ったのが1か月前なのに、気づいたのが今日。気づかずに乗っていたら、神戸空港に着いたときには飛行機が出てしまっていて、どうしようもなくなっていたので、最悪の事態は免れたようですが、ドジです。
本来乗るべき時間にバス停に行って、空席があればそのまま乗ってしまって大丈夫なのですが、満席だったらどうなるんでしょうか。
ちなみに、帰りは夜行バス。こちらは学割がきいて、8000円で徳島まで帰れます。懇親会を途中で中座しないといけないのが残念ですが、値段の誘惑には勝てませんでした (笑) 。

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