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2008年11月30日 (日)

遊戯史学会に行ってきました

5か月くらいぶりです。サボっていたのはブログの更新だけで、研究は (順調かどうかはともかく) 進めているし、9月にはゼミ合宿にも参加しました。「実隆公記を読む会」もほぼ毎回参加しており、この間は津山の美作大学での勉強会にも出ました (廃止が決まった、急行「つやま」にも乗ってきましたよ) 。

さて本題。昨日は東京で「遊戯史学会」の総会があり、2名の方のお話がありました。これまでのボードゲームや日本の伝統遊戯からは少し広がり、一人の方は英国のスポーツの歴史 (主にボクシングの合法化の歴史) 、もうお一方は幕末から近代にかけての博徒集団のお話でした。博徒集団のお話は、講演者が自分より1つ年下だということにまずびっくり。そして囲碁の高尾本因坊の実兄だということで、さらにびっくりしました。

その後懇親会があり、将棋の歴史の話でひとしきり盛り上がりました。研究資料を持って行っていたので、「二中歴」や「諸象戯図式」のコピーを見せたところ、皆さんに興味深く見られてしまいました (汗) 。そして、このブログもよく読まれているとのことで、あまりサボってもいられないなと。

懇親会ではいろいろと新説・珍説 (?) も飛び出しましたが、突き詰めて考えれば珍説といってしまっては失礼なもので、現在の常識が間違っており、「珍説」が真実なのかもしれません。懇親会でのお話、どこかできちんとした形で紹介されればいいのですが。

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コメント

失礼を省みず珍説を述べた溝口です。(嫌味ではありません)
新参者で、将棋の歴史も勉強を始めたばかりで分からないことが多いので、素朴な疑問を出しました。
文献・出土品、伝来品などが示しているのは、「二注歴将棋」≒「本将棋」-「飛車・角行」が突然に完成された形で現れたということです。、それ以前の痕跡が無いことから、完成品として伝来したと考えるのが普通だと思います。
日本国内で進化したという前提に立つと「木村説」のように早く伝来して改良が行われたとなります。私は、呉越の地で「シャンチー」とは異なる将棋が発達し日本に伝来したが、中国では消滅し、遺跡・遺物は発掘を待っていると思います。
この説に反対する人が多いと思われるのは「日本将棋の独自性」である「持ち駒使用」という革命的アイデアが日本人オリジナルでない点だと思います。
二注歴の記事を次のように解釈できれば問題は解決すると思います。
敵玉一将則為勝≒敵玉一将で則ち勝ちを為す(敵玉一将さえとれば勝ちになる。)
必是一方必此行方准之≒必ずこれは一方であり必ず此の行方は之に准ず(必ず一方だけに属し、必ず取られた後もこれに準じる。『敵のものにならない』)
江戸時代の文献に明らかな、将棋は「持ち駒使用」、他の大型将棋は「取り捨て」は、当初から変化なしだと考えています。
なお、「酔象」駒は「王将」の仲間なので例外として相手のものにならなかったと思います。
ご研究の一助になればと思います。

投稿: 溝口 和彦 | 2008年12月17日 (水) 08時37分

メッセージありがとうございます。先日はお世話になりました。

「持ち駒使用」の考え方がどこで生まれたか、ですね。現在の将棋類では、日本将棋だけが持ち駒ルールを採用しているので、日本で生まれたと考えるのが自然でしょうが、他の解釈ができないわけではないと思います。

持ち駒ルールのヒントとして、駒に「向き」という概念が必要になります。チェスのような立像型の駒では、向きがないため敵味方を色分けで区別する必要があり、この方法だと敵の駒を取って自分の持ち駒にすることはできません。
従って可能性があるのは、文字で駒を識別した日中韓の将棋類に限定されますが、たとえば中国で持ち駒ルールの将棋類が過去に存在したという仮説のもとで、これまで知られている文献や出土品を解釈するとどのようになるでしょうか。

今はこれに答えを出すまでは手が回らないので、疑問を呈するまでにとどめておきます。

投稿: たまご915 | 2008年12月17日 (水) 21時54分

>持ち駒ルールのヒントとして、駒に「向き」という概念が必要になります。

とすると
持ち駒ルールのない平安将棋などになぜ「向き」の概念があったのかの説明がつきにくいと思います。

「向き」と持ち駒制のどちらが先に出現したのでしょうか?

投稿: 馬形進 | 2009年4月10日 (金) 23時00分

>敵玉一将で則ち勝ちを為す(敵玉一将さえとれば勝ちになる。)

敵玉一将で則ち勝ちを為す
遊戯史研究11 飯田弘之「将棋の進化論的変遷」1999
では「王金対王」の判定勝ちの論拠としています

投稿: 馬形進 | 2009年4月10日 (金) 23時08分

馬形進さん、コメントありがとうございます。

>「向き」と持ち駒制のどちらが先に出現したのでしょうか?

これですが、自分は向きが先だったと考えています。
持ち駒の概念を導入するにあたり、駒に向きがあることが必要条件となります。つまり、向きがなければ、持ち駒として取った相手の駒を打ったとき、その駒がどちらの対局者のものか、わからなくなります。

敵味方の駒を見分けるため、日本では駒に向きを付け、中国では文字を変え、その他の地域では駒の色を変えた。
その結果、日本将棋では相手の駒の向きをひっくり返せば自分のものになるので、取った駒を再利用する発想ができた。しかし他国では、その発想自体が成立しなかった。
……と、考えています。

投稿: たまご915 | 2009年4月11日 (土) 02時25分

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