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2009年4月 4日 (土)

「本横」の駒

徳島で、「本横」と記された将棋の駒が発掘されました。

このニュースを知ったのが3月末に徳島で行われた、放送大学の徳島学習センターセのンター卒業式のあとの雑談。自分は在学生として、卒業式のあとの茶話会に参加していたときにこの話を聞きました。

もちろん3月15日の現地説明会は終わっていたのですが、調査を行った徳島県立埋蔵文化財センターに問い合わせて、そのときの資料をもらうことができました。まだ調査中とのことで、報道された内容を越える情報はありませんでしたが、駒の写真など、詳しい資料もいただいています。

埋蔵文化財センターによると、「本横」の駒は、同じ音の「奔王」をあてたものではないか、という仮説。「奔」の文字が「本」+「廾」なので、ほかの読み方ができないかと思ったのですが、写真を見る限り難しいかもしれません。あとは、「横行」などと誤った可能性があるかどうか、あるいは、これまでに知られていなかった将棋があったか、ですね。

13世紀、鎌倉時代の遺跡であるとのことです。仏教関係の出土品もあり、近くに寺院があったと考えられています。将棋に限らず、この時代の遺物が発見されるのは徳島では珍しいとのことで、埋蔵文化財センターでも調査結果に期待を寄せているようでした。

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コメント

お久しぶりです。
新資料の発掘、わくわくしました。
裏はどうなっていたのでしょうか?
奔王であれば、不成ですから裏は白となります。
横行だとすると、中将棋であれば、奔猪。二中歴大将棋であれば金成りの可能性もあると思います。
新しい駒だとすれば、名称から最強の駒の感じがしないので、成りが有るような気がします。
また、金将もあったとのことですが、裏は白でしょうか、飛車でしょうか。裏が白だとすると、中将棋の金将ではないということになります。
増川先生に提案をしたことがある「鎌倉大将棋」という中将棋の元になった、最下段と歩兵以外は不成の大将棋の駒ではないかと、妄想は膨らみます。
とにかく、四国での発見、追加レポートを期待したいところです。

投稿: 溝口 和彦 | 2009年4月 5日 (日) 21時54分

詳しいことは後日に公式な報告資料にまとめられると思いますが、聞いた範囲では、「本横」「金将」とも、裏には何も書かれていなかったということです。

二中歴の大将棋の「横行」は、成り駒については記述されておらず、不成の可能性もあります。
とりあえず、何もわかっていないことだらけで、発掘した埋蔵文化財センターの方も「自分たちが勉強している段階」とお話しされていましたので、あらゆる可能性から慎重な調査研究が必要だと思います。

投稿: たまご915 | 2009年4月 5日 (日) 23時20分

「『本横』駒は、鎌倉時代に用いられた中将棋(現在普及しているのは小
将棋の改善型)で使われた「奔王」駒の異字駒とみられ、今まで出土した
例はない」と徳島県埋蔵文化財センターは話ていた。・・毎日新聞徳島等。

中将棋が西暦1333年以前(鎌倉時代以前)に指されたという、確実な
証拠がありますか?
当方は「中将棋は、異制庭訓往来までは記録が無いのでは。」と疑ってい
ます。

投稿: | 2009年4月 8日 (水) 15時22分

コメントありがとうございます。

>中将棋が西暦1333年以前(鎌倉時代以前)に指されたという、確実な証拠がありますか?

今のところは見つかっていない、と思われます。少なくとも、自分は知りません。
過去に遊戯史学会で報告された、『普通唱導集』 (1300年頃) の将棋指しへの言及も、大小2種類の将棋ですし、当時は中将棋はなかった可能性が高いと思います。

個人的な考えですが、「王」の異字として「横」を当てることはなく、むしろ逆だったのではないでしょうか。
つまり、ルーツは不明ながら「本横」の駒があり、その異字としての「奔王」のほうが定着して現在に至った、ということです。

投稿: たまご915 | 2009年4月 8日 (水) 23時24分

お話を伺い、気づきました。
私は次の考えを持っていて、その前提で話します。
二中歴将棋(伝来)⇒二中歴大将棋(金成になる制限で駒を増加、取り捨てになる)⇒鎌倉大将棋(不成の強力駒の増加、飛車角行の誕生)⇒中将棋(多種成りによる整理)→大将棋
二中歴大将棋から飛車が生まれるに際して、「奔車」+「横行」=「奔横」⇒「飛車」ではないかと思います。

投稿: 溝口 和彦 | 2009年4月 9日 (木) 00時04分

溝口和彦さま>
コメントありがとうございます。

>二中歴大将棋から飛車が生まれるに際して、「奔車」+「横行」=「奔横」⇒「飛車」ではないかと思います。
飛車の機能が奔車と横行に分離していたというのは、増川先生も指摘されていたところだったと記憶しています。
両方の機能が足された駒として、両方の文字を組み合わせれば、たしかに「奔横 (本横)」になりますね。
十分あり得る話だと思いました。

投稿: たまご915 | 2009年4月 9日 (木) 08時21分

中将棋も無ければ、出土駒「本横」の時代には、
後期大将棋も無い、可能性がありますね。
本(奔)横が奔王より古いとの御説には、共感(証明は現時点には困難では)できます。

仮に、「本横」の生みの親の知っていた、日本の将棋は、小将棋と平安大将棋だけだったらどうでしょうか。なお、簡単の為以後「本横」は本当は、奔横だと仮定しましょう。

奔が付くのは、奔車だけでは。平安大将棋では、奔車は香車の前段にありますよね。だから、奔横は、横行の前に置いたのでは。すると、歩兵が邪魔ですので、注人と歩兵は、一歩前に出したのでは。中原が異常に広く、敵味方陣内領域の狭かった、平安大将棋の不自然さは、陣地主要部を3段から4段にすれば、中原部は7段から5段に減りますから、多少これにより緩和できませんか? しかし、そうすると、猛虎、飛龍、奔車の前の升目に、不自然な空きができてしまいます。そこで、ここへ、龍王とか、(1/2(飛龍+桂馬)の)龍馬とか、後に後期大将棋の作者がまねたように、奔車の前に、飛車を発明してもってきたのでは。

つまり82枚制で13×13升目の改良版平安大将棋が、少なくとも徳島では指されたのかもしれないと、私は思いましたね。

奔横のルーツは、香車の前に奔車があるように、横行の前にある駒の意味で、後期大将棋で、これが奔王にかっこよく改名されたのだと、私は思いますね。

>つまり、ルーツは不明ながら「本横」の駒があり、その異字としての
>「奔王」のほうが定着して現在に至った、ということです。

投稿: | 2009年4月10日 (金) 16時10分

たまご915さんにご迷惑かと思いますが、一言。
「平安大将棋」(私は時代名は適当でないと思い二中歴大将棋とよびます)の配置について、私は異説を持っています。
原文の「頂」「頂方」「上」について意味が異なると考え、以下の配置を提案しています。
         注
歩歩歩歩歩歩歩歩歩歩歩歩歩
   飛    横     飛
奔     猛    猛     奔
香桂鐵銅銀金玉金銀銅鐵桂香
通説は、あまりにも不自然でプレイアビリティにかけると思います。

投稿: 溝口 和彦 | 2009年4月10日 (金) 23時02分

>二中歴大将棋から飛車が生まれるに際して、「奔車」+「横行」=「奔横」⇒「飛車」ではないか

飛車=ルーク=船=車(中国、韓国)
のように、古代からあたり前のように存在したコマの動きです。後から生まれたとは考えにくいものがあります。

投稿: 馬形進 | 2009年4月14日 (火) 12時03分

平安大将棋の配列は、通説で良い疑いもあると思います。下記点
書き込み者自身は自信ありません。(旺文社の辞書と「いただきます」
の語源から、類推しました。)、以下の私の書き込みについては、
真偽のほどを、各自皆さん御確認の上、御判断ください。

玉、銀、香、歩の前の方向にあると見られる、横行、猛虎、奔車、注人
の位置の説明についた、「頂」の意味は以下の通り。身分の高い者か
ら頂いた、後に喰する予定の食料を、頭の真上にぴったりとかざす事。
よって後者の駒群は、前者の駒群の頭に接して配列されており、
かつ、前者の駒群が、隣接前の一升目に進める(喰える位置に後者
が置かれている)事を示している。

桂馬の前の方向にあると見られる、飛龍の位置の説明についた、「上」
の意味は、単純に飛龍が桂馬の前隣に配置されている事と、かつ
桂馬が、隣接前の一升目に進め無い(喰えない位置に後者が置かれ
ている)事を示している。

なお横行の説明で、「頂方行」は、「頂方。行」、「頂。方行」なのか、
私にはよく判りません。後者なら、「横行」が「方行」すなわち、
斜めに動かせない駒である事を、言っているようにも思えます。

>「平安大将棋」(私は時代名は適当でないと思い二中歴大将棋と
>よびます)の配置について、私は異説を持っています。

投稿: | 2009年4月15日 (水) 09時39分

たまご915さんにご迷惑かと思いますが、もう少し。
二中歴大将棋の配置については、私見のような配置もありうると思っていただければ、幸いです。
飛車の誕生について、
>古代からあたり前のように存在したコマの動きです。後から生まれたとは考えにくいものがあります。
動きとしては、それほど奇抜なものではないので、『「飛車」は日本で14世紀頃に独自に生まれた。』のではなく、『外国の将棋類の駒が大将棋創案に際して、「飛車」という名称で採用された』という意見の方が多いと思います。
「本横」の駒は、日本発生説の論拠と成る始祖鳥の化石のようなミッシングリングだというのが私の考え(妄想?)です。
二中歴将棋は、駒は原則金成、持ち駒再使用のため、ルークのような駒から「香車」という駒を生み出した。日本の将棋類の走り駒はこれが出発点。
取り捨てルールへの転換により、駒の能力向上が可能になり、二中歴大将棋の「奔車」「横行」が生まれる。
金成制限をなくすことによりさらに強力な駒が鎌倉大将棋では生まれる。飛車・角行・龍王・龍馬・奔王・竪行が体系的に一挙に生まれる。(名称変更は略)
この、二中歴大将棋と鎌倉大将棋をつなぐのが徳島大将棋(仮称)の「本横」(不成)だと思えます。

投稿: 溝口 和彦 | 2009年4月15日 (水) 18時31分

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