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2011年1月

2011年1月31日 (月)

[読書メモ]斎藤智文『世界でいちばん会社が嫌いな日本人』

世界でいちばん会社が嫌いな日本人(斎藤智文)

日本人は勤勉な国民であると、ずっといわれてきました。今ではその勤勉さも失われたように指摘されることも多いのですが、まじめで勤勉であることには、今も変わりがないどころか、さらに強化されているのではないかとさえ感じます。だから労働という行為自体をポジティブにとらえるし、働かないで収入を得ることについてはネガティブな反応を示す。私自身、「金持ち父さん」が1つの生き方であることは認めても、自分が金持ち父さん的な生き方をすることは後ろめたさを感じてしまいます。
ただ、高度成長時代を終えて、労働観はかなり変化してきたように思います。かつては国が豊かになるため、次の世代にもっと楽な暮らしをさせるため、という国是がありました。十分に豊かになった現在、それに代わる労働の理由は各企業にゆだねられましたが、各企業が従業員に、その企業で働く意味を十分に提供できていないように思われます。

この本はタイトルではっとさせられますが、企業が従業員に与える働く意味、従業員の側からいえば「働きがい」について書かれています。
不動の企業理念を持ち、理念に沿った大胆な改革もいとわず、末端の従業員にも十分な権限と責任を与える。これが働きがいにつながるわけですが、以前読んだ『ビジョナリー・カンパニー』にも通じるところがあると感じました。
本書後半に取り上げられる成功事例の企業の中に、ビジョナリー・カンパニーと重なるものはなかったように思いますが、これは社歴が浅かったり、米国以外の企業へも取材していたりするからであって、本質の部分は大きく重なっているのではないかと思います。
「日経ビジネス」の2011年1月24日号で、ドイツのボッシュ社が取り上げられていましたが、この会社も成功事例に含まれるでしょう(本書の日本企業の考え方とは異なるようで、「超日本的経営」とされていましたが)。

自分は働く側ですから、どういうときに働きがいを感じるのか考えやすいのですが、新たな挑戦を後押しする環境が与えられ、失敗のリスクをある程度抑えてくれること。そして成功失敗にかかわらず、結果が適切に評価されると保証されていること、でしょうか。
自分の場合、いわれたことしかさせてもらえないのはストレスがたまりますが、かといって何でもやっていいぞといわれると結果のリスクを考えて萎縮してしまう。自分が共有できる形でのゴールと、そこに至る責任を与えられ、適切な援助を受けられれば、やりがいを持って邁進できるものです。
今度は日本の事例が数多く取り上げられるように、働きがいを持てる職場が増えてほしいですし、増やしていくために自分も何か、次に勤める会社でもできることがあるのではないかと思います。

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2011年1月30日 (日)

[勉強会]2011/1/30 第5回 ビジネス雑誌勉強会 in 東京

○コミュニティ名:ビジネス雑誌勉強会 in 東京
○名称:第5回 ビジネス雑誌勉強会 in 東京
○日時:2011年1月30日 9:00~11:00
○場所:エクセルシオールカフェ 永田町店Googleマップ
○課題書:『日経ビジネス』『ダイヤモンド』『東洋経済
○参加者:4名

主催者さん、元気だ。
いつものようにプレゼン資料を作成してくださっていたのですが、昨晩(アジアカップ決勝の中継を見ながら)から今朝の4時頃までかけて作ったそうです。
そしてこの勉強会のあと、その足でTOEICの試験に出るのだとか。
……若いっていいな(笑)。

今回大きく取り上げられたのが、『ダイヤモンド』のfacebook特集と、『東洋経済』の読書術特集。特集そのものよりも、そのテーマについてのことで、皆さんの経験に基づく話がたくさん出ました。
参加者の中に海外の友人を多く持つ方がいて、そういった人たちとの連絡ツールとして、facebookが非常に有用だというお話がありました。実際米国などでは、メールや電話でのやりとりに代わって、facebookが日常的に使われているという話も聞きますし、(インターネットを利用したサービスではありますが)これまでインターネットが行ってきたコミュニケーション手段を、facebookが内包しているということは言えるかと思います。
自分はそこまでfacebookを使いこなしておらず、また情報を提供する範囲が日本国内に限られているので、まだmixiなどの国内サービスでも十分用が足りるし、適宜使い分けていけばよいのではないかと考えています。

読書術については、読書会に来る人ですから、やはりそれぞれの参加者のこだわりを感じました。
自分も今年の目標を「年間100冊」と定めていますが、それよりもたくさん読んでいる人もいますし、ただ読むだけではなく、読んだものをどうやって自分のものにしていくかというところに話が進みました。
アウトプットが大事だといわれますが、さらにその向こう、つまり、読書(インプット)→メモ・ブログなど(アウトプット)→整理→成果、という形に昇華させていかないといけないということですね。
そして、逆に、読まない人がなぜ読まないのか、という話も出ました。読書が知的活動として敷居が高いのか、一発で「いい本」に巡り会いたい(ハズレを引きたくない)のか、読んでいる人の読む量がある意味異常なので、その域にたどり着けないとあきらめてしまうのか。わかりませんが、自分のこのブログなどでの活動が、読書する人を増やすきっかけになれば、うれしい限りです。

両方のテーマをつなぐ話になるでしょうか、「ソーシャルリーディング」の可能性についても意見を交わしました。今後電子書籍が本格化することによって、読書体験を他人と共有できる仕組みができるかもしれません。これがソーシャルリーディングなのですが、自分にはまだそのイメージが見えておらず、誰よりも早く明確なイメージを持ち、イメージを形にできた人が、ビジネスの上でも成功できるのではないかと感じます。

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2011年1月29日 (土)

[読書メモ]山崎武司『野村監督に教わったこと』

野村監督に教わったこと―僕が38歳で二冠王になれた秘密―(山崎武司)

東北楽天ゴールデンイーグルスの主力選手として、2007年には本塁打・打点の二冠王に輝いた山崎武司選手。「野村再生工場」といわれる野村克也監督のもとで、自分の考え方がいかに変化したかを、著書に述べています。
2008年2月の出版ですが、先週実家に帰ったとき、父が買ってきていたようで、家に置いてありました。自分は野球も好きですので、気になって読んでみました。

もともと山崎選手は理論家ではなく、(「来た球を打つ」といったような)感覚でバッティングをする部分があったので、超のつく理論派である野村監督からの刺激は大きかったようです。また楽天に移籍する前のチームでは、監督とそりが合わず、働きがいを失ってしまっていた部分もあるようで、問題児だと思われていたのが、監督との信頼感で、選手のパフォーマンスはここまで変わるものなのだ、とも感じます。

自分の立場を山崎選手のそれに置き換えるのは、うぬぼれも甚だしいかもしれませんが。似たようなところはあるかもしれません。
2009年に転職したものの、思ったような仕事をさせてもらえず、1年あまりで退職。この2月から3社目に転職しますが、そこでは自分は最年長のほうに入ります(何しろ、社長よりも自分のほうが年上)。すぐに結果を出さないといけないでしょうし、若いメンバーを引っ張っていく立場を求められるかもしれません。
そういうことを重ね合わせて、自分の感情で動いていた山崎選手が、野村監督のもとで役割と責任を与えられ、若手を引っ張っていく立場になっているのが、印象的でした。

山崎選手自身は、年上だから自分のいうことについてきてくれる状態は好ましいとは思っておらず、若いリーダーが出てきてほしいと著書で述べています。その気持ち、何となくというレベルでわかっているつもりですが、実際に同じ立場になるようなことができれば、実感できるのかなあ。
ともかく、自分としては、新しい勤め先で、まずその信頼を勝ち得るところまで行かないと。

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2011年1月28日 (金)

[読書メモ]神野直彦『「分かち合い」の経済学』

「分かち合い」の経済学 (岩波新書)(神野直彦)

今年の経済テーマの1つになる予感がする、「シェア」の考え方を先取りした本かな、と思って図書館で借りてきました。
でも(神野氏の考えのベースを知らなかったこともありますが)だいぶ方向性が違いますね。

21世紀以降、とくに小泉政権以降顕著になった、新自由主義のもとでの競争社会、格差社会を強く批判しています。行き過ぎた新自由主義が、目先の利益に走りすぎ、株主にばかり慮る状況になり顧客や従業員にしわ寄せがくる事態を招いていることは、私も感じるところです。
(株を持て、投資しろ、ということかもしれないですけど、まじめに働く人間が報われないのはどうかと。)

とはいっても、スウェーデンにならった社会保障を導入することが正しいとは、自分には思えないところがあります。
北欧諸国の実態を知らないのですが、この本に書かれているようなきれい事では済まないはず。知っている範囲では、企業への支援はほとんど行われず、ボルボなどの大企業も再編を余儀なくされる国だと聞いています。スウェーデン的な制度が日本に導入されたとき、大量の失業者を生むことになるのではないかという不安も大きいのではないでしょうか。

冒頭の子ども手当導入に対する世論への言及も、何か当を失している感じがしました。
子供のいない世帯からの批判を「思いやりの心を失った」と指弾していますが、本文では社会福祉はカネではなく、サービスで行うべしとあり、結局(著者が非難している)世論の批判は当然の帰結であるといっているのではないかと、矛盾を感じてしまいました。

そして、「同一労働、同一賃金」は、やっぱり違うと思う。単純労働なら「同一労働、同一賃金」でいいのかもしれませんが、いまの日本に求められているのは、働く人一人一人が自分の頭で考えて成果を上げていくこと。とくに自分の職種(IT開発)は、人による作業能率が10倍以上違うこともあるので、成果を出せる人間に傾斜した賃金を与えるほうが適切ではないかと思うのです。

自分が期待している「シェア」は、政府や自治体に頼らず、民間である私たち一人一人が、自分が持つもの(情報など無形のものも含む)を他者に提供し、持っていないものを他者から提供を受ける、相互依存的な関係です。
そして「シェア」はボランティアである必要もなく、ビジネスでも全くかまわない。むしろビジネスとして、自分と相手だけではなく、仲介者や社会全体も巻き込んで、ものや情報の共有でみんなにWin-Winの関係を作り出すように、社会の仕組みを作ることが待たれているのではないでしょうか。

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2011年1月27日 (木)

[雑感]放送大学に行ってきた

放送大学
アナウンサーになるための学校ではなく(このネタも使い古された感があるな)、テレビとラジオの放送で授業を行う4年制の大学です。
関東では地上デジタル放送にも対応しており(12ch)、見たことだけはあるという方も少なくないかもしれません。

これを書いている1月27日現在、放送大学では学生の募集を行っていますが、自分はすでに学生で、今日は単位認定試験(期末試験ですね)を受けてきました。ちゃんと試験を受けて単位を取って、卒業要件を満たして卒業できる仕組みになっているんですよ。
ちなみに、自分の放送大学歴は休学1年、修士課程2年を含んで11年目。最終学歴が「放送大学大学院 文化科学研究科 総合文化プログラム(文化情報科学群)」というなにやら物凄そうなものになるのですが、趣味にしている将棋の歴史をテーマに、修士論文を書いたのがこの研究科でした。つまり日本史の修士課程なんです。

今まで趣味で放送大学を使ってきましたが、今度は実際の業務にも近いところで、経営学を中心に履修しています。そして今日は後期の単位認定試験。
3科目履修しましたが、この半年はいろいろバタバタしたので、放送授業(たまたま3科目ともラジオで、放送大学のサイトでストリーミング放送されています)のストリーミングを1度通して聞いただけで、まともな試験勉強は今日の試験の直前。それでもどんな授業が放送されていたのかうっすらと覚えていたので、何とか形になったかな。

せっかく授業料を払って履修しているので、授業をもっと有効活用したいのですが、今回は単位を取るだけになってしまいました。
いろいろな考え方があると思いますけれど、自分としては、放送大学は生涯学習ですし、生涯学習は単位や資格のためではなく、自分の成長のために使っていきたいと思っています。
来学期は、もうちょっとちゃんとやろう(……と、試験が終わるたびに毎学期思っているような気もしますが(汗))。

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2011年1月26日 (水)

[読書メモ]きたみりゅうじ『会社じゃ言えないSEのホンネ話』

会社じゃ言えないSEのホンネ話(きたみりゅうじ)

SE=システムエンジニア、ということで、自分が大学卒業から15年間どっぷりとつかっている業界のお話です。といっても、SEというのは特定の顧客(ユーザー企業)からの請負開発が主業務です(と思っています)ので、今まで特定の顧客を持たない仕事(注)ばかりだった自分は、SEを名乗ったことはないのですが。
注:去年まで、一般顧客向けのパッケージソフトウェア(つまり小売店で箱に入って売られているもの)を作る仕事が大半でした。2月からの仕事は状況が違ってくるかも。

「あー、あるある」という話も、「それはその会社だけじゃない?」という話もありました。かなり前面に押し出されている感のある、勤務時間の長さ、忙しさというのは、自分の経験してきた範囲ではなかったものですが、時々話として聞きますので、勤め先によるのでしょう。
そういった意味で、多少は不幸自慢ぎみになってしまっているかなと思いました。IT業界で働きたいと思っている人が、この本を読んで真に受けて、希望をあきらめるようなことにならなければいいのですが。

これまで勤務した2社、出向先も含めれば3社になりますが、仕事の環境や、職場の雰囲気など、もっと明るいですよ。
(著者のきたみさんも、フリーになる直前にいた勤め先は、雰囲気がよかったようですし。)
こんなに殺伐とした職場が絶対にないとは言いませんが、これが普通だと思われているなら、IT業界に勤めている人間として異議を唱えたい。
そりゃあ仕事は楽じゃない。お客様の漠然とした要望を形にするのが仕事ですから、決して単純作業ではないし、頭を使う。あらゆる細部において実現可能かどうかは作ってみないとわからない部分があり、完成までにどれだけ時間がかかるかもわからない(というか、時間がいくらあっても足りない)。
でも、そういう苦労よりも、自分たちが作ったもので新しい価値を提供できる、あるいはお客様の問題を解決することができる、そして、これまでに存在しなかったものを、自分たちの手で組み上げることができる。それが開発者にとってのやりがいですし、やりがいの大きさに比べれば、仕事の苦労なんて簡単に吹き飛ぶくらいのものでしかありませんよ。

とはいえ、好きでないと続けられない仕事であるのもまた確かです。前の段落に書いたのは自分の仕事観でもありますが、違う仕事観を持っていたり、SEの仕事を「やらされている」と感じるようであれば、しんどいところばかり目についてしまうので、IT開発という職種自体が向いていないということにもなるのかもしれません。
きたみさんがどちらの立場だったのかはともかく、単なる不幸自慢だけではなく、「SE愛」というと表現が恥ずかしいですが、SEという仕事に対する愛情をもう少し表に出してほしかったと思う部分もありました。

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2011年1月25日 (火)

[読書メモ]宮台真司『日本の難点』

日本の難点 (幻冬舎新書)(宮台真司)

社会学の知識がほとんどない自分にとっては、かなり読み応えがあり、とくに著者の主張については難解な内容も多い1冊でした。それでも何とか読み切れたのは、著者の考えのベースにある、「底の抜けた社会」を実感していたからかもしれません。

自分にとって、依るべきコミュニティは存在しません。家庭も、地域も、家族も、会社も、ネット社会も、自分がなすべき役割を演じる場、つまりロールプレイの舞台でしかなく、「素の自分」を受け入れてくれるコミュニティにはなりえないといえます。
結局どこに行ってもうわべの付き合いしかできていないし、それゆえに友達や師と仰ぐ人物に出会うこともありません。とはいえ、現代社会がうわべの付き合いしか許さない社会だと理解しているので、私はそこで生きていくしかないと割り切っています。
実際には、うわべではない、心からの付き合いというのが、現代社会にも残っているのかもしれません。自分もそれを見つけられれば、本当の意味での友人や師を得ることができ、人間的にももう一段二段と成長できるのかもしれませんが、そうだと信じるにはまだ時間がかかりそうです。

さて、この書籍は、米国でオバマ大統領が就任した直後、日本で民主党が政権を奪う前に書かれたものです。政治的な見解については、日本の民主党の政策に重なる部分があるのですが、著者がその後どのように考えているのか、興味を持ちました。これはもっと新しい著書に書かれているのだと思いますが。
底の抜けた社会、自分の感覚ではコミュニティが存在しなくなった社会で、声の大きな人間が皿に声を張り上げるようになっています。社会の歯止めが利かなくなっているんですね。著者の宮台氏は、基本的にそのようなクレームを一切真に受けない、声の大きなものに決して迎合しないという態度を取っていますが、それだけ自分の発言に自信と責任を持っているのだろうと感じました。

ただ、正しいというのとは違う。政治も社会も教育も同じですが、人の判断は「必ず」誤る、そして「判断しないこと」も判断だという立場にいます。だから誤ることを前提とした社会の構築が必要であり、現代の日本社会に決定的に欠けているのが、誤り前提の視点だということです。この考え方は自分の中にはなかったし、非常に印象深く受け取りました。
社会自体が誤りを受け入れていないから、目の前の問題を解決すればよくなるか、それでダメなら社会全体をひっくり返すしかないと考えてしまい、結局何ら手が打てなくなる袋小路にはまっています。
それをどうすればいいのか、自分にはわかりません。宮台氏も何かを伝えようとしているのですが、自分には難解で理解しきれませんでした。

最後に、
「周囲に『感染』を繰り広げる本当にスゴイやつは、なぜか必ず利他的です」。
このフレーズは、すごくわかる。リーダー論でもあり、自分が師を見つけられない理由にもつながってくるのではないかと思うのです。

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2011年1月24日 (月)

[読書メモ]斎藤孝『なぜ日本人は学ばなくなったのか』

なぜ日本人は学ばなくなったのか (講談社現代新書 1943)(齋藤孝)

日本人の学力低下が叫ばれて久しい。その理由としてはいくつか指摘されていますが、いわゆる「ゆとり教育」が本来の目的とは違う方向に陥り、つまり生徒が自分で考える力を伸ばすことができず、単に教える内容が減ってしまったため、絶対的な知識量の減少が生じてしまったこと。それからインターネットの広範な普及で、居ながらにして大量の情報が入手できるようになったため、情報の価値が相対的に低下したことがあげられるかと思います。
マスメディア、とくにテレビ番組の力も大きいでしょう。バラエティ番組に見る価値のあるものはないと思っていますが、とくに昨今の「おバカタレント」の知識のなさを笑いものにする番組が酷い。視聴者にとって、自分よりも知識のないものがテレビカメラの向こうにいることで、これ以上学ばなくても安心だという気分が生まれるのでしょう。

この本もそういった話をベースに書かれていますが、懐古趣味が強すぎて、納得のいく部分はほとんどありませんでした。人間が易きに流れるのも、日本社会が米国化したのも、インターネットで情報の洪水が起こるのも、時代の要請であり必然です。それに抗おうとして、何になるのか。
このような時代のもとで、どのようにして学びを得るのか模索するべきところが、昔はよかったで終わってしまっています。

また、昔の教育が必ずしもよかったわけでもありません。画一化した人材しか供給できず、過去の成功体験にとらわれて進歩できない教育でしたから、状況の変化に対応できないわけです。太平洋戦争の4年の間に敵国の戦力が増大したのに、手をこまねいていて敗戦したし、戦後の高度経済成長の結果日本が米国を追い抜いた瞬間、目標を見失って迷走しました。
新しい時代の、新しい学びが必要なのに、そのことについて何も書いてくれていないのが、大きく不満でした。

とは言っても、新しい試みについて実際に何も書かれていないわけではないのです。作者自身、新しい時代にあった試みを行っているし、その内容は「あとがき」の10ページ余りに凝縮されています。この試みについて別の本に書かれているのかもしれませんが、この本でも1章を割くくらいのバランスで、ちょうどよかったのではないでしょうか。

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2011年1月23日 (日)

[雑感]提案:書店で読書会

カテゴリーを「勉強会・読書会」にしようかと思いましたが、参加した感想ではないので「雑感」カテゴリーで。
昨日、今日と大阪にある実家に帰っていたのですが、実家に帰ってもすることがあまりないので、ぼうっと考え事をしていたときにふと思いついたアイデアです。大阪とは関係ありません。

参加者の皆さんに1冊ずつ本を持ち寄ってもらい、その内容や関連する様々な情報を共有する。つまりリーラボコミュニティが行っている形式の読書会を、紹介された本がたいてい売られているような大きな書店の中でやりたい。……そう思いました。
大きな書店だと、中に喫茶店などのテナントが入っていますので、そういった場所が読書会に使えます。そして、紹介された書籍をその場で手に入れることができるわけです。

そして、できるならば、書店と参加者が、Win-Winの形を取れるようにしていきたいです。
書店の方々にも協力していただいて、読書会で紹介された書籍を店内で宣伝するとか、参加者はコーヒー代を少し値引きしてもらうとか(我ながらせこいな(笑))、書籍を紹介して入手する以上の相乗効果を得られればいいな、というくらいですが。

早速、実現に移してみたいので、よろしくお願いします。
(って、誰に何を頼んでいるのだろう(汗))

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2011年1月21日 (金)

[雑感]TOEIC問題集に初挑戦

今年の目標にはしていませんが、そろそろ英語のスキルを見える形にしておかないと、社会人としてまずいかな、と感じてきました。
2月からの転職先は、これまでと同じIT開発者ですが、ウェブやモバイル方面の仕事をしている会社ですので、これまでよりは世界に開いた形になります。
すぐに英語圏の技術者や顧客とのやりとりが発生するわけではなさそうですが、国内だけ見ていればいいとも言っていられないので。
そんなわけで、まあ安直な手段ですが、TOEICです。

まずは自分の現在のスキルを把握するため、これから申し込める最初の試験になる、3月の試験を受けることにしました。
とはいえ、受験まで何も準備しないというのも変な話ですから、問題の傾向を知るためにも、試験形式の問題集を買ってきて早速試してみました。
ちなみに使った本は、「はじめての新TOEICテスト 本番模試」というもの。値段だけで選びましたが、Amazonのレビューでは評価が高いですね。

結果。
Listeningは本番と同じく、最初から最後まで通して(途中で止めずに)解答しました。
Readingのほうは時間を測らずに全問解答したのですが、試験時間の75分を15分ばかり超えてしまったかと思います。
その上で採点し、結果を問題集についていた得点換算表で置き換えてみたところ、685点。
悪くない。それどころか、よすぎる。時間をオーバーしたこともあり、あるいは換算が甘すぎるのかもしれませんが、これで天狗になったら、実際に英語でコミュニケーションを取るときに痛いしっぺ返しを食いそうです。

各問の雑感。TOEICを受験した経験がないと意味がわからないと思いますが、思ったまま書きます。
Part 1。絵(視覚・右脳)と音声(聴覚・左脳)の組み合わせのためか、リスニングではもっとも取っつきやすい。
Part 2。質問の冒頭、つまり疑問詞がWhoかWhereか何なのかを聞き逃さないのが大事。
Part 3。流れてくる音声を聴きながら、書かれている問題文を把握するのは不可能。書かれている問題文は短いので、一瞬で把握できるようになりたい。
Part 4。要領はPart 3と同じだが、音声が一人の話なのでメリハリが小さく、より難しい。
リスニングは全体的に、迷っている暇がありません。わからなくてもどれかにチェックして、次の問題の準備をするという繰り返しになりました。

ここからリーディングで、Part 5。基本的には文法問題。中学・高校でやったことを思い出していけばいけるはず。
Part 6。長文穴埋め。できれば解答部分の周りだけで答えたいが、全体を読まないとわからない問題も多く、手強い。
Part 7。長文読解。英文で国語の問題を解く感覚。量が多く、集中力が切れてくるので、頭のスタミナが必要。
75分あって、選択問題100問なら1問45秒で解けばいいのだから余裕があるだろうと思っていたら、それが大間違いでした。

どういう勉強法にすればいいのかは試行錯誤の段階ですが、リスニングはこの問題集を覚えるくらい繰り返し聞く、リーディングは問題を数多くこなして解答スピードを上げていくことが必要かな、と感じています。
本番の目標は470点、と考えていましたが、今回の問題集が案外高得点だったので、600点くらいを狙っていきたいです。

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2011年1月20日 (木)

[読書メモ]藻谷浩介『デフレの正体』

デフレの正体 経済は「人口の波」で動く(藻谷浩介)

2010年のベストセラーとなった1冊です。電車の中でこの本を読んでいて、カバンの中に本をしまって電車を乗り換えたら、乗り換えた電車の隣の席に座っていた男性が同じ本を読んでいた、ということもありました。

別のセミナーでも、同じ話を聞きました。そのセミナーのメインは『金持ち父さん 貧乏父さん』の話でしたが、その前振りとして、現代日本では給料が上がることは期待できない、なぜならこれから人口の急減は避けられず消費のパイが縮小していくからだ、ということでした。問題意識のあり方としては、同じだと思います。
自分のことだけを考えても、21世紀初頭の「いざなぎ越え」好景気の間に生活が豊かになった感覚はありませんでした。十分にモノがあり物質面の豊かさはピークにあったこと、それゆえ新たな消費を喚起できなかったこと、また来るべき超高齢化社会への不安と危機感があおられ、心理的に好景気を実感できていなかったことが理由といえるでしょうか。

確かに、日本では経済の指標を比率や前年からの増減など、相対的な値で示すことが多く、長期的な絶対数での指標はあまり重視されていないように思います。
(たとえば米の作況指数。平年値を100とする収量の比で示されますが、1993年、タイ米輸入の騒動まで起こった年の作況指数は74。それ以降での不作は2003年の90。ところが収穫量そのものは、2003年のほうが少なくなっています(減反政策などにより作付面積が減少しているため)。)
失業率も合計特殊出生率も、比率による数字であり、分母となる人口そのものが減少しているための問題というのが見過ごされがちです。

ただ、対策としてあげられたことに、説得力を感じませんでした。もはや人口減や高齢化を食い止めることなど不可能ですし、根本的な対策など存在しないのかもしれません。
だからこそ、自分がとれる対策をしっかりとっていく必要があるように思いました。具体的には、お金の勉強です。結局は今後の生活に不安があるから、いくらお金があっても足りないと思ってしまうわけで、それが手元のお金が貯蓄に回って消費に回らない理由になってしまっています。ですから今後何にどれだけのお金が必要なのか、きちんとした知識を身につけることで、賢い消費者になれます。
そして賢い消費者が増えることで、お金の巡り(=景気)もよくなり、国民の不安も解消されるといいのですが。

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2011年1月19日 (水)

[勉強会]2011/1/16 第4回 ビジネス雑誌勉強会 in 東京

○コミュニティ名:ビジネス雑誌勉強会 in 東京
○名称:第4回 ビジネス雑誌勉強会 in 東京
○日時:2011年1月16日 18:00~21:00
○場所:ティーズ渋谷フラッグRoom7K (Googleマップ
○課題書:『日経ビジネス』『週刊ダイヤモンド』『週刊東洋経済
○参加者:4名

ビジネス週刊誌3誌(主催者さんは3誌とも毎号買っているそうです)を比較する読書会です。今回は2011年の予測が特集されていましたので、2011年の経済・政治・トレンドなどについて、主催者さんがまとめた情報を参加者で共有して意見交換する形になりました。

ITのトレンドについては、「シェア」の考え方が意識されるようになるとの予測。先日発売された書籍『シェア <共有>からビジネスを生みだす新戦略』についてはまだ読んでいませんが、FacebookなどSNSの発展が、情報や評価だけではなく、家や車や本なども誰とでもシェアできる(持っていない人が持っている人から一時的に借りる、譲り受けるなど)時代にさしかかっていると感じました。
昨年から急成長したクーポンビジネスも取り上げられていましたが、割引の元値に実態のない二重価格の存在が噂されるなど、ビジネスモデルそのものにひずみが出る可能性もあり、今後の成長がどこまで見込まれるか不安に思いました。

政治に関しても意見を交換しました。今の政治の問題も当然ありますが、国民が政治から離れすぎている状態を変えられないか、という話題が中心になり、その原因として、日本では (1)政治参加の手段が議員の投票のみに事実上限られてしまい(政治家への陳情が補助金を得るための手段になってしまい、政治参加という意味では機能していない)、しかも (2)国会議員は立法府にありながら、法律を作るのを官僚任せにして、職務を全うしていない、という指摘がありました。
自分としてはそこまで考えたことはなかったのですが、指摘を聞いてなるほどと思いました。民主党政治には見通しがない、いやそれよりも国のトップが変わりすぎるのはよくない、という議論も大事ですが、もっと根本のところで変えていかないと、政治が国民から離れたままになってしまいますね。

最後に、第2部として、勉強会そのもののあり方を意見交換しました。
同じ日に自分主催で開催した「プレジデント読書会」では、初めて読書会に参加された方を含めて過去最高の8名が集まり、今年も盛況かと思っていたのですが、ほかの方の実感ではかなり勢いが落ちているとのこと。また、そもそも雑誌の読者が減っているため、雑誌の読書会は人を集めづらいのではないかということもありました。
主催者としてやるべきなのか、自分の読書会に参加することで何が得られるのかを提示し、期待感を与えることです。この部分が抜けてしまうので、「参加したい!」という気持ちにさせられないのではないかと指摘され、その通りだと感じました。
そして主催者の人柄というか、愛嬌。もちろん知識やファシリテーションの能力も必要ですが、参加して楽しかったと思ってもらうには、主催者の人柄が強く関わってくると思います。長く続いている勉強会は、主催者さんがいい人ですからね。
勉強会のあり方については、またいつか、日を改めて書いてみたいと思います。

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2011年1月18日 (火)

[勉強会]2011/1/16 第4回 読みませんか?の会

○コミュニティ名:日経ビジネスアソシエオンライン
○名称:第4回 読みませんか?の会
○日時:2011年1月16日 15:30~17:30
○場所:喫茶室ルノアール神田南口駅前店マイスペース(Googleマップ
○課題書:日経ビジネスAssocie(オンライン版含む)
○参加者:8名

日経ビジネスAssocieの読書会は、まさ@愛妻家さんのものがよく知られていると思いますが、ほかにもあります。
昨年も一度参加して、今回が2度目になります。

自分、最新号が届いていたことを忘れていて、その前の号から2冊を持って行ってしまいました。
サバイバル英語術の話を持って行ったのですが、これが古い号の話で、ありゃりゃ、ということになってしまいました(汗)。
その号にはTOEICの目安について書かれていましたが、今年一度受験してみようかと思っています。いまの自分がどれだけの英語力を持っているのかわかりませんが、とりあえずの目標は470点(990点満点)。レベルCといわれる、日常生活のニーズを充足する最低点にあたります。

読書会の中で一番話題になったのが、最新号(2月1日号)の付録「Cultivation Program」。教養を身につけるための52個の課題ですが、一流に触れるという意味でもおもしろい課題が多く、いくつか試してみたいという声がありました。
その中でも、1月15日に公開された映画『わが心の歌舞伎座』は、見に行きたいという人も多かったようです。
(映画も歌舞伎も興味がないのだけれど、そんなことをいっていたら教養がつかないんだろうなあ(笑)。)

最後に、一人ずつ今年のTo Do/Not To Doを表明して終了。
私のTo Doは、年頭の目標5つの中でももっとも重視している、「本気の仕事をする」こと。何が本気なのかは難しいですが、自分に課したタスクを妥協せずにやりきる、ということで考えています。
Not To Doは、「過去を振り返らない」。昨年、勤め先を退職したことでは、そこに至った過程で反省するべき点も多々あります。とはいえ終わったことなのだから、反省はしても、後悔はしない。今年はそれで行きます。

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2011年1月17日 (月)

[読書メモ]ジェームズ・C・コリンズ他『ビジョナリー・カンパニー』

ビジョナリー・カンパニー 時代を超える生存の原則(ジェームズ・C・コリンズ、ジェリー・I・ポラス、訳・山岡洋一)

1995年に日本語版が発刊された、ビジネス書の中では古典に類するかもしれない名著です。
今まで手に取る機会がなかったのですが、今回やっと読むことができました。
ここでは何世代にもわたって成功を収めた企業を「ビジョナリー・カンパニー」と定義し、同業のうち、成功はしているが、十分に成功していない企業との比較で、ビジョナリー・カンパニーにはどういった特性が備わっているかを調査しています。私たちが陥りやすいミスとして、ビジョナリー・カンパニーの共通点のみを洗い出し、それ以外の企業でもその特性を持っているかどうかを見落とすというのがありますが、注意深くその誤りを排しています。
よく言われる、カリスマ創業者や企業時の大胆な事業モデルなどは、ビジョナリー・カンパニーには必要なかった。むしろ、大胆な事業モデルで一世を風靡した企業は、次の代で評判や業績を大きく落としてしまう傾向となっているようです。

必要なのは、将来にわたって変化することがなく、かつ短期的な利益追求を超える企業理念と、末端の従業員にまで浸透させる企業文化、そして現状に甘んじることなく、成長と変化を繰り返す事業モデルといった部分です。
働く側にとっては、ビジョナリー・カンパニーで働くことは決して楽ではありません。企業文化を心の底から信じることができなければ、やがては居づらくなるでしょうし、成長と変化を常に求められるため、今の成功にあぐらをかいている余裕などないからです。端から見ると、「ブラック企業」のようにも映るかもしれません。
自分としては、ビジョナリー・カンパニーとブラック企業は違うものです。ビジョナリー・カンパニーは企業そのものへの忠誠を誓って働きますが、ブラック企業では経営者への忠誠を誓うことになるでしょう。仕事は楽ではないかもしれませんが、一方は長年培ってきた企業理念の達成、もう一方は目先の利益の達成のためであり、働きがいは天と地ほども違うかと思います。

幸か不幸か、自分はビジョナリー・カンパニーで働いたことはありませんが、企業理念を大切にしていきたいと思うようになりました。
別のときに読んだ『プレジデント』誌の記事(2011.1.17号、P.38)にあったのですが、企業というのはチームプレイ。個人の従業員がいくら個性や能力が突出していても、経営方針や企業理念と相容れなければ、意味がないという指摘もあり、この書籍と同じことを言っているのだと感じました。

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2011年1月16日 (日)

[勉強会]2011/1/16 PRESIDENT 1.17号、1.31号 読書会

○コミュニティ名:プレジデント読書会 in 東京
○名称:【2011/1/16(日)】9:00~12:00 PRESIDENT 1.17号『「働き方、生き方、悩み方」全予測』、1.31号『もしも私が仕事で困ったら』 読書会
○日時:2011年1月16日 9:00~12:00
○場所:エクセルシオールカフェ 永田町店 Googleマップ
○課題書:『プレジデント
2011 1.17号『「働き方、生き方、悩み方」全予測』
2011 1.31号『もしも私が仕事で困ったら』
○参加者:8名

今年最初の、自分主催の読書会。
これまで最多の、参加者8名。うち3名が読書会そのものが初めてだったということで、新鮮な集まりとなりました。
8人全員を1つのグループにして、自分がファシリテーターを務めたのですが、1グループで読書会をするのは、この人数が最大限度ですね。これ以上増えると、2グループに分けないと無理ですね。

参加者の皆さんにはできるだけ自由に発言してもらいたいと思っているのですが、時間も限られていますし、一部の人だけが発言してしまうことも起こってしまうので、そのあたりの議論誘導がファシリテーターの仕事。
とはいえ、参加者のうち2人だけが盛り上がる場面もありましたし、話を聞いているだけの人も出てきてしまったので、まだまだ改善の余地はあると感じました。

今回もいくつもの記事を取り上げましたが、まず1つは、売れるための法則や方法についての記事(1.17号45ページ、1.31号88ページ)。
価格以外の付加価値が必要ですし、それは現在では「サプライズ」であったり「感動」であったりするのでしょう。これから先、自分が何かのサービスを企画することがあると思いますが、これらの付加価値を意識しておきたいと思いました。

もう1つ特筆しておきたいのが、1.31号の特集から、「やり抜く力」「決断する力」(28ページ柳井氏、35ページ新浪氏)。
経営トップだけではなく、末端の従業員まで一人一人が、リーダーシップを持って働く必要があります。その意味では、今は働くのに大変な時代になったと感じますが、それだけにやりがいがあります。
そして、リーダーシップとして重要なのが決断すること。決断とは何かを切り捨てることでもあり、選んだものと捨てたもののトレードオフで、最善の選択をすることに意味があります。これがわかっていないと、捨てられないし、決断できない、そう思いました。

年始にも掲げましたが、毎月1回、12月までこの読書会を続けることが今年の目標の1つです。
ただ漫然と続けるだけではなく、参加者に何か持ち帰ってもらい、また来たい、あるいは別の勉強会や読書会にも参加したいと思ってもらえるようにすることが、開催するに当たっての自分の役割だと考えています。
今回の読書会が、そのようなものであったと、皆さんに感じていただけていれば、主催者としてうれしい限りです。

PS.(2011/01/20追記)
この読書会で行ったプレゼンの内容を公開しました。
リンク先はプレゼン資料をPDFに変換したものとなっています。

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2011年1月14日 (金)

[Wikipedia]私がWikipediaに書かなくなった理由

Wikipedia(日本語版)の私の投稿記録を見ていただければわかると思いますが、2009年5月から1年半以上、書き込みを行っていません。
自分がいなくなったからといって、ウィキペディアが変わるわけでも、ましてやダメになるわけでもなく、同じように運用されていくわけです。ある意味寂しい気もしますが、考えてみれば当然ですね。自分にそんなに影響力があったはずもないし、もし自分に影響力があったと思っていたとすれば、それは大いなる勘違いでしかありません。

記事を書かず、方針の議論や他の利用者のコメント依頼にばかり顔を出してしまうと、そのあたりの勘違いが起こってしまうのかもしれません。
たとえば、何か議論があって、自分の主張に近い形でまとまったとすれば、自分の力で議論を動かしたような感覚にとらわれるのでしょう。その当然の帰結として、ほかの議論でも自分が議論をまとめられると思い込んで参加してしまう。結果、ろくに貢献もしていないのに、議論にくちばしを挟む利用者として認知され、場合によってはウィキペディアを追われるようになる。
そういう利用者が何人かいたことは事実といってよいでしょう。

さて、私がウィキペディアを離れた理由ですが、大きくいって2つあります。
1つは記事の加筆で貢献する部分がなくなってきたこと。自分の興味ある分野は加筆が進み、このあときちんとした内容で加筆しようとすれば、加筆内容の裏付けとなる文献調査に多くの時間を必要とするため、自分の能力を超えてしまったといえます。
図書館で借りてきた本に書いてあった内容をちょこちょこ書き足していけば済むようなレベルではなく、記述の対象について体系だった知識がないと、まともな記述はできないように感じています。
(そこまでの意識も覚悟もない利用者の記述に指摘を入れることならできますが、それは他の利用者を萎縮させるだけで、ウィキペディアの質を高めることにはならないと思います。)

上の理由が大きな理由ですが、もう1つあげるとすれば、編集方針というか、管理体制について自分と意識がずれてきてしまった、ということがあります。
ウィキペディアは誰でも書き込めるメディアであり、それゆえに宣伝目的や荒らしでの書き込みが絶えず、宣伝や荒らしが記事の質を落とすという面はあります。そのため、彼らには投稿ブロックを含め、「一切の記述をさせない」という強い態度で臨んでいるのが現状です。これは、自分がウィキペディアを離れる前から変わっていません。
ただこの態度が、ウィキペディアに閉塞感というか、編集時の堅苦しさを生んでいるように思います。自分はそれがいやでウィキペディアを離れたわけですが、ある一定の規模を超えたコミュニティでは必ず起こることで、自由な雰囲気とコミュニティの質を両立させるのは、そもそも不可能なのでしょうか。

自分の理想としては、体裁を伴っていなくともある情報が記述されれば、編集に慣れた人がその記述を体裁の整った形に整形し、また別の人が質を高めるための肉付けを行う、そのプロセスの繰り返しで記事が成長し、議論は細部の調整できなものに限定されるというものです。
まあ、自分の中での理想でしかないし、実現したところでウィキペディアとして正しい姿ではないのでしょうけれど。

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2011年1月13日 (木)

[ITニュース]ジャストシステムがMS Office互換ソフトに参入

ジャストシステムは、私が最初に入社し、13年間お世話になった会社です。
入社当時は「一太郎」がキラーアプリだったわけですが、これも時代の流れなのでしょうか。

■ASCII.jp:ジャストシステム、Office互換ソフト市場に参入
ジャストシステム、法人専用オフィス互換ソフトの新製品を開発、今夏発売 -INTERNET Watch
ジャスト、MS-Office互換ソフトを開発し夏にリリース - 価格は半分を想定 | ビジネスPC | マイコミジャーナル
ジャストシステムが法人向けOffice互換ソフトの開発を表明、MS Officeの半額程度で提供:ITpro
ジャストシステム、Microsoft Office互換のオフィス統合ソフトを今夏に発売 - クラウド Watch
ジャストシステム、法人向けOffice互換ソフトに参入 Officeの半額程度に - ITmedia News

自分がジャストシステムを退職した2009年時点で、オフィスソフトの月次のシェアは、例年2月の新バージョン発売直後を除いて3番手以下に落ちていました。つまり、マイクロソフトに水をあけられていただけではなく、ソースネクストをはじめとする他社の互換ソフトにも追い越されている状態にありました。
MS Officeがデファクトスタンダードとなっている以上、一太郎やJUST Suiteの独自性は「MS Officeとの互換性が十分でない」という欠点になっていましたので、この方針はやむを得ないものなのかもしれません。ですが、退職したとはいえジャストシステム製品のヘビーユーザーであった自分としては、複雑な心境であることは確かです。

市場に対するインパクトは大きくなりそうで、今日(2011年1月13日)のジャストシステムの株価も上昇に転じています。
一番影響を受けるというか、驚異に感じるのは、マイクロソフトではなく、MS Office互換ソフトを提供していた各社ではないかと思いました。
なんだかんだいっても、ジャストシステムのブランド力とサポート体制は、互換ソフトの各社に比べれば十分しっかりしたものであり、優位性を主張できる部分だといえます。
あと重要な部分は品質・機能と価格ですが、今回に限っては品質の基準が明確で「MS Officeと同じ操作がどれだけできるか」ですから、優劣ははっきりしてくると思います。今回のジャストシステムの発表では、マクロも含めた互換性を示していますので、かなり高いレベルでの品質や機能が問われてくるのではないでしょうか。
価格もわかりやすいですが、価格で勝負しないといけないとなると、値下げ合戦が繰り広げられることになりそうですね。OpenOffice.org (OOo) という無料で利用できるオフィススイートがあるので、OOoも競争の視野に入ってくるかもしれません。

法人からの引き合いが多かったのだと思われますが、まずは法人向けのライセンス市場のみでの販売で、個人向け製品が店頭に並ぶ予定は現時点ではないようです。
一般利用者からの要望の声が大きくなれば、個人向け市場への投入もありそうですから、状況を見ていきたいところです。

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2011年1月12日 (水)

[読書メモ]ロバート・キヨサキ『金持ち父さん 貧乏父さん』

金持ち父さん貧乏父さん アメリカの金持ちが教えてくれるお金の哲学(ロバート・キヨサキ、シャロン・レクター、訳・白根美代子)

いわずとしれた超ベストセラー。ただ漫然と雇用されることでは、いくら働いてもお金持ちに離れず、税金を払い生活のために稼ぐことの繰り返しにしかならないと警告しています。
ではどうすべきかというと、言葉の響きは悪いかもしれませんが、「不労収入」。つまり本当の意味での資産を持ち、その運用によって自動的にお金が入る仕組みを回せば、働かずとも収入が得られるという仕組みです。

放送大学で歴史学を学んでいたとき、戦国時代のある貴族(公卿)について修士論文を書きました。戦国時代に入り、凋落していたとはいえ、貴族は自分が所有する荘園領地からの地代収入で生計を立てていました。
昔も今も、日本も米国も、このあたりの考え方は同じといえるでしょう。

ただ、やはり、違和感はぬぐえません。
私の家族はみな、勤労は義務であり、生活のためにはつらいことも我慢して働かなければいけないと考えていますが、それと反対の方向で、お金や仕事について極端な考え方をしているように思います。
私たちの生きる目的は何でしょうか。自分のやりたいことをして、幸せに生きることが、誰にとっても究極の目的のはずです。
それがなぜか、お金を稼ぐこと、収入を得ることが目的となってしまい、お金を得るための手段を論じてしまっています。そこに私の違和感の根本があるようです。

もともと、やりたいことをする、幸せに生きるという目的があり、その手段としてお金があったはずです。それが主客逆転するほどに、お金というものは魔力を持っています。
自分としては、幸せに生きるだけのお金があれば十分なのであって、金持ち=善、金持ち=幸福、という構図さえ壊してしまいたい、というくらいに考えています。
本書にある、働く以外の方法での収入の得方があることは否定しません。ですが、それがすべてではないという意味で、本書を余り高く評価できませんでした。

最後に、なぜこの時期にこの本を読んだのかを書いておきます。
実は今まで敬遠していました。投資を勧めるような書籍だと思っていたし、自分は投資や投機は好きではないので。
ところが実際読み進めていくと、投資については書かれているものの、それが主題ではなく、投資先を自分の頭で考えて投資しろということになるでしょうか。
自分はそこに頭のコストをかけるなら、働くし、作るし、他の人に価値を提供することを選びたいです。
結局、その1点が、私がこの書籍を評価できない理由ということになるかと思います。

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2011年1月11日 (火)

[読書メモ]羽生善治・白石康次郎『勝負師と冒険家』

勝負師と冒険家 常識にとらわれない「問題解決」のヒント(白石康次郎・羽生善治)

将棋の羽生名人と、海洋冒険家の白石康次郎氏の対談です。
自分は将棋ファンで羽生ファンですし、羽生さんの対談はビジネスのヒントにもなるので、早速読んでみました。
将棋とヨットという専門がそれぞれにありますので、やや専門的な内容はありますが、詳しくなくても十分読んで楽しめる1冊です。

どこにも接点がなさそうなふたりですが、冒頭でそのカラクリが明らかになっています。つまり同じ会社の講演会で別々に話をして、主催者がふたりを引き合わせたということでした。

サブタイトルにありますが、「問題解決」が大きなテーマ。
羽生名人は40歳になり、盤上ではやや過激な手を指してちょうどバランスがとれていると考えているようです。これは自分のアドバイスとして考えると、若いときよりもリスクを知って腰が引けた状態になってしまっているので、無理だと考えて最初から手を出さないのではなく、実行することが大事だということになるかと思います。
自分自身、行動力に欠けていた部分がありますので、常に意識しておかなければならない部分だと感じました。

白石氏は、ヨットで外洋を世界一周するようなレースを戦っている人ですから、レース中の判断ミスは艇を壊したり、最悪命を落としたりすることをよく知っています。調子がよく、がんがん突っ込んでいけるときは1レースに1日くらい。あとはどれだけ抑えていくかの世界です。これを自分のアドバイスとするなら、猪突猛進はよくなく、熟考した上で行動せよということになるでしょうか。
また、最近のヨットレースでは天候や位置など各種の観測機器のデータが重要となりますが、調子のよいときは自分の判断が機械に勝り、層でないときは逆転するという考え方が印象的でした。機械を利用しても、依存しすぎてはいけないということですね。

昔と今の時代環境の違いについても述べられています。ふたりが共通の認識として持っていたのは、現代はモノや情報が有り余り、子供たちが情報に振り回されて小さくまとまってしまっているということ。モノや情報が増えるのは豊かさの象徴であり、多くのメリットがあったのですが、子供たちには難しい時代だと思います。

さいごに、著者ふたりが若い世代にかけたい言葉が非常に心に残りました。
白石氏「素直にまっすぐ」。生きていく上でいろいろな困難があるが、逃げないで受け入れれば、自分が困難の主導権をとれるようになる。
羽生名人「裏切らない」。他人だけではなく、自分も裏切らない。周囲の期待や空気を意識しすぎて、自分のやりたいことを隠してしまうのはどうだろうか。
人生訓やビジネス書として、取り上げたい1冊でした。

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2011年1月10日 (月)

[勉強会]2011/1/10 PRESIDENTを読む会@新宿

○コミュニティ名:本を共に読んで活かす会@大宮
○名称:1/10(祝) PRESIDENTを読む会@新宿
○日時:2011年1月10日 9:30~12:00
○場所:サンマルクカフェ 新宿三井ビル店Googleマップ
○課題書:『プレジデント』2011 1.17号「働き方、生き方、悩み方」
○参加者:5名

雑誌『プレジデント』の読書会ですが、私が主催しているものとは別に開催されたものに、私が参加者として出席しました。
同じ書籍や同じ雑誌がテーマで読書会が開催されることはよくあることだと思いますから、とくに気にはなりませんでした。同じ雑誌でも2回やれば参加者の意見が2倍聞けますし、主催者が違えば会の回し方も違うわけですし、参考にも刺激にもなります。

ファーストリテイリング・柳井氏への悩み相談。
質問者が「ボク、英語がしゃべれません」(36ページ)という弱音丸出しで相談にきたとは思えませんが、自分も含め、多くの人が英語に対する不安があるかと思います。
日本人は総じて、日本人同士だと言葉にしなくても通じてしまうことを期待したり、実際にそうであったりするので、言葉によるコミュニケーションが苦手だという部分があります。英語の文法が正確でなくてもよく、まずはコミュニケーションでお互いを完全に理解しようと努めることが大事だと、柳井さんは回答されています。(とはいえ、100パーセント理解することなど不可能だといえますが、端からあきらめてしまってはどうしようもないですね。)
そして、コミュニケーション、あるいは英語を利用する場を増やすことが必要だという意見も出ました。
苦手だといっても全く勉強していないわけでもなく、また経験上(自分は海外に行った経験がゼロですが)、お互い理解しようという気持ちがあるなら、何とかなるもの。
『プレジデント』のこの号の別のページ(48ページ)にも、『日経ビジネスアソシエ』や『ダイヤモンド』等の他の雑誌にも出ていますが、ネイティブでない英語、「グロービッシュ」で十分コミュニケーションはとれるということでした。

つづいて、日本人の働きがいについて。
1990年、バブル経済まっただ中にあっても日本人は会社が嫌いだという調査結果がでています(42ページ)。また、本誌調査では働きがいはお金よりも仕事内容や社会貢献に重きを置いているように見えますが(31ページ)、実際には格差が広がり、収入が増えない中でのあきらめなのかもしれないという意見が出ました。
考え方はいろいろとあると思いますが、まず間違いないのは、会社や国に依存していては成長はおぼつかないし、自分自身の将来が危なくなるということ。ドラッカーの次にくる経営書(49ページ)でも言及されていますが、「自立・自律」というのが、今後私たちが働いていく上でのテーマとなるのではないでしょうか。

大前研一、竹中平蔵両氏の「今後3年の日本経済」(112~121ページ)。竹中氏や、飯島勲氏(136~137ページ)の主張が強いため、小泉元首相の政治を懐かしがってしまっている部分というのが出てしまっていると思いますが、それはさておき。
財政破綻、国債デフォルトなど、日本経済が今後引き起こすであろう最悪の事態が発生したとき、私たちの生活に何が起こるのか、適切な説明がないようにも思え、まだよく想像できていません。
単に世界経済から取り残されるだけで、生活への影響は限定的なのか。それとも日本という国を見捨て、外国への移住を真剣に考えなければならなくなるのか。ハイパーインフレや新通貨への切り替えが発生し、今手元にある資産が、価値を持たなくなることがあるのか。
話の中では戦後すぐに行われた預金封鎖についても言及され、それがまた起こるとしたら……噂になるだけでも、パニックになりかねませんね。

ほかにもいろいろな話題が出てきましたが、自分のことは自分で何とかするしかないという意識を新たにしました。
自分がどのような人間になりたいのか、何をやりたいのか?ですが、かなりの部分はお金で制約されていますから、
「もし収入が無限にあり、お金の心配がないとしたら何をするか」
という質問に答えを出すことで、本当にやりたいことが見えてくるのではないか、ということでした。

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2011年1月 9日 (日)

[雑感]「一流」に触れる

『プレジデント』の最新号(2011 1.31号「もしも私が仕事で困ったら」)に、一流に触れることへの言及がありました(25ページ)。
これ、すごく大事だと思いますし、(年頭の目標には入れませんでしたが)実践していきたいことのひとつです。

自分もそうですが、人間というのは自分の見聞きする環境が自分の評価の基準となってしまいがちなもの。一流の環境に身を置けば、一流の考え方ができるようになりますし、逆に二流・三流の環境の中では自分の評価軸も二流・三流になってしまう。
言い方を変えれば、『なんでも鑑定団』ではありませんが、骨董品や美術品の目利きになるなら本物を数多く見ないといけませんし、mixiやYahoo!のニュースにユーザーがつけているコメントばかり読んでいると、それらのユーザーの目線でしかものが見られなくなってしまうということです。

勉強会でも同じだと感じています。
一般の人たちが有志で集まって作る勉強会は、自分も1つ主催しているわけで、それが悪いわけではありませんが、決して一流のものではない。
昨年まではそれで満足していた部分もあるのですが、もう一歩高いステージを目指すために、経営者が多数集まるところなど、自分が場違いだと思うようなレベルの勉強会に参加できたらなあ、と思っています。

ただ、今の自分にはコネがない。資金もない(現在転職活動中なので)。
なければ作ればいいのですが、行動力が自分の弱い部分だというのが見えていますので、そこを強めるか、行動力のある人を仲間に引き入れないと。
そこも、今年の自分の課題だと感じています。

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2011年1月 8日 (土)

[読書メモ]堺屋太一『凄い時代 勝負は二〇一一年』

凄い時代 勝負は二〇一一年(堺屋太一)

2011年のはじめに図書館で見つけ、早速借りてきた1冊です。副題に「勝負は2011年」とあるので、これを今まで読んでいなかったのだから、今年こそ読むべきだろうと。
ちなみに、出版は2009年9月、リーマンショックから1年がたち、民主党が政権を奪った直後に書かれたものです。

バブル崩壊以降、豊かさの指標が変化しました。つまり、モノや財産が多くあることが豊かだとされてきた時代から、精神的な満足を求める時代への変化です。そのためにはモノよりも知識や情報が価値を持つようになり、著者の堺屋氏は本書で「知価革命」という言葉で表現しています。

そして、2008年9月に起こったリーマンショックについても、かなり突っ込んで分析されています。サブプライムローンの破綻に端を発する金融危機であることは間違いないのですが、その遠因として国際金融市場の構造的問題、もっと深掘りすれば国際基軸通貨であるドルが、国際通貨であることのみが信頼の理由となっていたため、信頼が崩れると崩壊を止められなかったことを指摘しています。

翻って、日本は製造業で発展してきた国であり、それゆえにモノへの依存が強く、l知価革命への対応が遅れたという状況にあります。サブプライムローンの影響を直接に受けなかった日本が、金融危機のダメージが最も大きかった理由もそこにあり、金融危機を脱した後に日本が国際的なプレゼンスを失うのか、新しい価値を得るのかの分岐点は2011年、今年にやってくるということでした。

おもしろいのが、江戸時代の日本経済を分析した部分。悪君とされた徳川綱吉の時代は元禄文化が花開き、世界最初の先物取引(大阪の米問屋)もこの時期であったといいます。名君と名高い吉宗の時代は、統制経済により不況を招いたとして、かなり批判的にみていました。

ここまでは書籍の内容のまとめで、ここからは私の感想。
正直なところ、日本の将来については、悲観せざるを得ない部分があります。日本という国に限らず、どんな組織でも個人でもそうですが、自分から変わることは非常に難しい。国の場合、革命か外圧かで変容させられることになるのですが、日本で革命は起こるはずもなく、米国自身も不況にあえいでいる中では、日本がよい方向に変容する外圧を期待できません。
本書でも明治維新なみの改革が必要で、公務員を一生が保証された「身分」から能力のある人材がつく「職業」へ改革すること、国の権限を弱めて道州制を導入することなどを提言していますが、実現はまず不可能でしょう。

ただ、知価革命という考え方は賛同できますし、高齢化を国の没落の象徴ではなく、価値を創造していく武器と考えるのは十分に現実的な考え方だと思いました。国ではなく、個人単位で知価革命を成し遂げていくのが、これからの私たちの生きていく道ではないかと考えています

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2011年1月 7日 (金)

[勉強会]2011/1/6 PHP 『 超 』 初心者勉強会 フォーム編

○コミュニティ名:PHP初心者勉強会
○名称:PHP 『 超 』 初心者勉強会 フォーム編
○日時:2011年1月6日 19:40~21:40
○場所:ちよだプラットフォームスクウェアGoogleマップ
○参加者:25名

今年最初の勉強会は、自分の本職でもあるプログラミング関係。
Webプログラミングの重要な技術になっているPHPですが、自分はこれまでノータッチ。転職活動中に技術の幅を広げておきたいと、今回初めて参加しました。

少し時間があったので、会場近くの書店で、PHPに関する書籍を探して少し目を通してみました。
主催者から「XAMPP」というアプリケーションを準備しておくように連絡があったのですが、このアプリケーションの意味など、そういったごく基本的なところさえ不勉強だったので、予習という意味ではかなり効果があったと思います。もちろん、簡単な文法的な部分も含めて。
(ちなみにXAMPP(「ザンプ」と発音します)とは、X=クロスプラットフォーム、A=Apache(ウェブサーバ)、M=MySQL(データベース)、PP=Perl/PHP(言語)の頭文字で、ウェブアプリケーションの標準的な環境です。
LAMP(Linux・Apache・MySQL・Perl)ともいいますが、今回はWindowsやMacでも利用可能なので。)

今回はフォームの第1回目ということで、単純な入力フォームを用いてのデータの受け渡しのみ。
自分は本職のソフトウェア技術者で、少しは基礎知識を入れてきていたので、ここまではさすがにわかる。とはいえ、完全な初学者もいましたし、2時間という限られた中で理解を深めるためには、それほど多くの内容を盛り込めないのでしょう。
もう少し複雑なことになるでしょうか、入力内容のエンコーディングやセッション管理については、次回以降になるということでした。

それほどたくさんのことをやったわけではありませんが、PHPのプログラムがどのように書かれているのかを知り、内部でどのようにデータがやりとりされるのかを理解できたことで、今後PHPを利用した開発業務に就くことになったときに、役に立ちそうです。
セッション管理など、まだ十分理解できていない部分はありますが、これは自分の今後の課題ということで、実務で使うなら理解しておかないといけない部分ですね。

最後に、少し気になったことを。
講義形式の勉強会でしたので、参加者が時間に遅れるとそれまでの話が聞けていないのでついていけなくなり、講師もその人にあわせて説明をやり直すので、時間の無駄が起こってしまいます。
仕事で間に合わないとか、いろいろな事情はあるでしょうが、時間厳守が必要だと感じました。

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2011年1月 5日 (水)

[読書メモ]D.カーネギー『道は開ける』

2011年の目標の1つに、「ビジネス書を100冊読破」というのを掲げました。
読んだものをこのブログに感想を含めて残していきたいと思います。
100件いくには、3日に1回のペースで更新する計算になるわけですが、果たしてそこまで行けるかどうか。


道は開ける 新装版(デール・カーネギー)

原著が書かれたのは1944年~1948年、つまり第二次世界大戦の終結前後。当時の米国はまだ、終身雇用と男女の社会的役割の違いが残っていますから、現在の日本の状況にはむしろ近いといえるかと思います。

この本は、働く、あるいは生活する上での悩みとその解決について述べたもの。自分自身が仕事に疑問を感じ、このまま続けるかどうかで悩んでいた(結果、退職を選んだのですが)時期に読んだ1冊だったので、非常に心に残りました。

問題を分析する(4章「悩みの分析と解決法」、5章「仕事の悩みを半減させる方法」)。
何を悩んでいるのか、問題の根本が何なのか、ということを明示することで、それが事実なのか思い込みなのか、解決策は何なのかということに初めて思い当たります。
自分のことはここでは詳しく書きませんが、このあたりがあまりうまく回せなかったかな、と思います。

過去を悔やまない(11章「オガクズを挽こうとするな」)。
自分の場合、退職という判断が正しかったかどうか。困難からただ逃げ出しただけではなかったか。そう悩んだことがありました。
でも、悩んだからといって過去を変えられるわけでもなく、退職という決断を下したのだから、次にするべきことをするしかないと、考え方を切り替えていく必要があるわけです。

悩みを受け入れ、ゆだねる(19章「私の両親はいかにして悩みを克服したか」)。
最後はここでしょうか。日米の大きな違いとして、宗教や神に対する感覚の差がありますが、自分は聖書を読んでいたし教会に通っていた時期もあります(洗礼は受けていません)。
この章に出てくる聖句「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」が、自分の好きな言葉でもあります。自分で動いていく必要はありますが、決して自分は一人ではなく、動くことによって救いの手がさしのべられる、少なくとも心の悩みに関しては問題を抱え込まないことが解決への第一歩であるというのは、間違いないでしょう。

年明けから、求職中なので時間が余ってしまいます。ただ余らせているとつまらない考えにとらわれてしまいますので、時間を有意義に使うことを考えて、そして仕事に就いてからも悩みとうまくつきあえるようにしていきたいと思っています。

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2011年1月 3日 (月)

[ITニュース]通販おせち問題、社長が一転辞任

ITニュースで書き込むのは1年3か月ぶりです。
もう、前のブログは閉じてしまいましたし。

グルーポンで購入したおせち料理がが見本と全然違う! それを受けてバードカフェの社長が辞任を発表(ガジェット通信)
グルーポン元旦から「おせち料理」で謝罪 (ゆかしメディア)
「見本と違う」お節500セット 購入者とトラブル(47NEWS)
おせち200人に届かず 料理にいたみも? グルーポン(朝日新聞)
ネット注文おせち「見本と違う」…納品遅れも(読売新聞)

いくつかの問題をはらんだ事件だと思います。
まずは矮小化したところから、つまり提供した店舗個別の問題として、スケジュール管理ができていたのかどうか。注文は500件と報道されており、これが提供個数だったと思われますが、500個を製造して昨年内に配送する体制が整えられていたのかどうか、疑問があります。
別の報道では、トラブル発覚前に社長が「おせちで1店舗分の売り上げ」とツイートしていたことも報じられています。社長に悪意がなかったとすれば、上がってきた売り上げの数字だけを見ての発言ということになるでしょうし、つまりは現場の状況が全く知らされていなかったということになります。
これは経営者として、問題が起こらなかったとしても、資質を問われる事態なのではないでしょうか。実際の作業は現場や下請けに任せきりで、その環境を改善する気がない、というかそもそも現場の状況を知らない、という体制は、どう考えても問題だと思いました。

そしてグルーポンをはじめ、クーポンサイトすべての問題として、提供企業の品質管理は当然のこと、価格設定についても疑問の声が出始めているようです。
「定価」とされている基準価格に実態がないのではないか、という疑問も持ちます。いわゆる二重価格であれば独占禁止法への抵触が問われますし、そうでなければ基準価格の根拠を明らかにしておく必要があります。
消費者側も、何パーセント割引という数字にだまされることなく、実際の買値の価値があるかどうかで判断しないといけないのではないでしょうか。

この事件は、この1件だけにとどまらず、クーポンサイトの信頼性を揺るがす問題になってくるはずです。
提供企業からの売り上げを確保できるクーポンサイト、大量販売がほぼ確実に見込まれる提供企業、同じものを格安で購入できる消費者の、3者のWin-Winが成立してこそなのですが、そこには品質と価格の信頼が前提となります。
基本的に一見さん向けのサービスなので、店舗と消費者の間、つまり人と人との信頼関係は成立していません。つまり、品質と価格の前提が一度崩れてしまうと、サービス自体が瓦解してしまう危険性があるわけです。

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2011年1月 2日 (日)

移行しました。

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新・たまご915の勉強会参加日記+α

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[将棋]出雲から出土の将棋盤について想う

ちょっと前の話ですが、将棋の歴史研究的に興味深い出土品が、昨年12月に出雲から発掘されています。

出雲市高浜Ⅰ遺跡・山持遺跡から出土した遺物について(島根県埋蔵文化財調査センター)
国内最古の将棋盤出土 出雲市高浜I遺跡(日本海新聞)
島根県出雲市高岡町 高浜 I 遺跡から最古の将棋盤が出土(日本将棋連盟)

米長会長、将棋文化は仏教伝来までさかのぼるって、さすがに歴史的には無理が多そう……。木村義徳九段の説に近いのかな。

出土場所は、里見女流三冠の実家に近いらしい。『ヒカルの碁』のように、この将棋盤に宿っていた棋士の霊が、里見さんについた、なんていう冗談もあったようですが。

閑話休題、永正3年(1506)の記載のあった木管と同時に出土しており、おそらくは同時期。私が修論研究で扱っていた『実隆公記』の時代にも重なり、やはり戦国時代には広く将棋が指されていたことを裏付ける出土品となりそうです。

記事にも指摘されていますが、鎌倉時代の『鳥獣人物戯画』にある将棋の絵は、紙の版を用いていたとされます。紙というより、地面に直接線を引いて版の代わりにしていたようにも見えますが、そこから囲碁と同じように脚付きの将棋盤ができるまでに将棋の格が上がったのか、庶民に広まったときに盤が省略されていたのか、という部分も興味ありますね。

個人的には、出土品を見て、2つの疑問があります。

(1) 縦横どちらの向きで使われていたのか。
島根県の出土資料では出土した破片2つを前後に、日本海新聞の記事の写真では左右に置いています。
これは将棋盤の向きとも関係あるのですが、マス目がほぼ正方形(現在は縦長)なのでよくわからないのでしょうか。
自分の予想としては、木目が縦になる方向、かつ、出土した破片には取っ手と思われる部分がついているので、これが取っ手とするなら横になる方向、つまり2つの破片が左右になる形で使われていたのではないかと考えます。

(2) まな板に転用されていたとあるが……。
表面に刃物の跡がついているので、まな板としても使われていたであろうことは間違いなさそうですが、将棋盤がまな板に転用されたのか、逆にまな板が将棋盤に転用されたのか、という部分は解決していなさそうです。
古くなった看板や表札がまな板に転用されたという事例があるので、今回の将棋盤もそうだという連想だと思いますが、将棋盤は遊具ですし、駒は木簡や桶などを転用して作っているわけですから、逆も考えていいはずです。

疑問だけ呈して、自分で研究する時間がとれないのですが、何か新しい事実が出て、それで将棋の歴史解明につながればうれしいですね。

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2011年1月 1日 (土)

[雑感]あけましておめでとうございます+今年の目標5つ

あけましておめでとうございます。
昨年は、勤めていた会社を1年余りで転職するなど、自分にとっては波瀾万丈な1年でした。
まだ次の仕事先が決まっておらず(ある程度めどはついています)、不安定な中での年越しですが、今年も1年よろしくお願いします。

さて、ブログも一新しました。
これまでジャンルごとに各社のブログを使っていたのですが、興味が薄れたりブログサービス自体がなくなってしまったりで、なかなか長いこと継続できなかったのですが、1つに統合することで何とか続けていければと思っております。
これまでやってきたブログから引き継いで、こんなことを書いていきます。
(1)勉強会・読書会参加日記。
(2)将棋や遊戯史関連のコメント。
(3)ITニュース関連へのツッコミ。
(4)Wikipedia関連での外野からのヤジ。
あと、雑感や読書メモなども残していきたいと思います。


年始ですので、今年の目標を5つ。
昨年も目標を5つ立てていて、その2011年版になります。

(1)本気の仕事をする。

今年は新しい職場に変わります。去年はいい加減な仕事というか、逃げ道を作って妥協していた部分がありましたので、そのあたりの気持ちを切り替えて、逃げない仕事、本気の仕事をしていくことを意識して仕事に取り組みたいと思います。

(2)『プレジデント』読書会を年内完走する。

ほかの読書会や勉強会も毎週1個以上は行きたいですが、去年は頑張りすぎた部分もあるので、ほどほどに。
もっと大きな目標として、自分が主催している『プレジデント』読書会を毎月1回のペースで続けていますが、これを12月まで継続していきたいと思っています。

(3)もう1段上の勉強会への参加。

昨年は多くの読書会や勉強会に参加してきました。今年は参加の質も意識して、仕事の成果にもつながる勉強会に積極的に参加してみたいと思います。
自分に求められるのは開発リーダー・マネージャー。その方面の、開発者の技術も含めた部分で意識を高められるところを探していきたいです。

(4)読書100冊。

昨年は50冊の目標を夏までに達成したので、今年は目標を倍増。
資金や置き場所など、時間以外でも問題が出てきそうですが、電子書籍や図書館を活用するなど、うまくクリアしてたくさんの本を読んでいきたいと思います。
読書メモも、このブログに残していきたいですね。

(5)周囲の人々との協力で新しいことを実現する。

去年のいろいろで、一匹狼になってしまい、人に助けを借りられないというのが、自分の弱い部分だと感じました。
周りの人を助ける、助けてもらう。一人ではできないとあきらめたことでも、周りの人との協力で実現できるものもあります。今年は何かを、自分一人の力ではなく、多くの人の協力で実際に作り上げていきたいところです。

年末に達成度を自己評価します。
今回はハードルを高くしていますが、何もできませんでした、とならないように、とはいえ無理はしない程度に、頑張っていきたいと思います。

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