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2011年2月 7日 (月)

[雑感]大相撲の八百長問題に思う

大相撲の八百長問題が、春場所の開催中止という最悪の事態にまで発展しており、真相解明にはまだまだ時間を要しそうです。
自分は大相撲のファンではなく、たまにスポーツニュースで結果を知る程度で、最近は知らない四股名の関取ばかりになってきたなあ、という印象もあります。

それはさておき、自分の趣味である将棋と相撲は、どちらも日本古来の文化であり、プロの協会が公益社団法人への移行を目指しているという共通点があります。
とはいえ、将棋の八百長はあまり耳にしません。「米長哲学」(米長邦夫氏は現在の日本将棋連盟会長で、名人経験者でもある)とよばれる、相手にとっての大一番(リーグ優勝がかかるなど)のときこそ全力で打ち負かすべしという考え方が浸透していることも影響しているかもしれませんし、賭の対象として暴力団の資金源とするには対局に時間がかかりすぎる(それに、将棋で賭けるなら自分で指すでしょう)というのもあるかもしれません。
ですがそれ以外にも、将棋と相撲の本質的な違いにおいて、将棋では八百長が行われにくい理由があるように感じました。

ひとつは、将棋は勝ち負け以外のところにも評価の要素があること。
将棋の究極の目標として、両者が最善手を指し続けたとき、先手後手のどちらが勝つのかを求めるというものがあります。これはコンピュータの力を借りた純粋な計算で求まるはず(現時点ではまだ求まっていません)で、人間同士の勝負でも、新しい構想や指し手を芸術的・文芸的に評価することも行われています。
相撲も、心技体ですから、人間性の部分を前面に押し出していいと思うのですが、勝ち負けだけにこだわりすぎているように思います。

そしてもっと大きな理由として、相撲のほうが八百長をするインセンティブが大きいというのがあります。
対戦相手の力士は、倒すべき敵でありながら、相撲文化を発展させる仲間でもあるという側面があります(これは将棋も同じ)。相手を負かすことで、負かした相手の番付が大きく下がってしまい、それが相手力士の報酬や待遇に大きく影響することを考えれば、情が入ってしまう部分は出るでしょう。
現状の角界の待遇は、自分が勝ち星を伸ばすことよりも、みんながほどほどに勝ち星を揃えることのほうがよい、という状況になってしまいがちなのではないかと感じるのです。
このあたり、経済学的にみるとどのような見解になるのか、興味があります。

もちろん、今回の八百長問題を擁護する気はないし、相撲の勝負が賭け事として暴力団の資金源になっていたり、カネで星が買えるようなことが常態化していたりするのであれば、言語道断です。
当然、徹底的な調査と再発防止を期待するものではありますが、勝負に徹するよりも仲間内で星を回しあうほうがインセンティブが高くなる状況があるならそれを改善しないと、根本的には何も解決しないのではないかと思うところです。

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