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2011年3月

2011年3月30日 (水)

[将棋]天童人間将棋、今年は中止

先日の大震災の影響ですが、毎年山形県天童市で開催されている「人間将棋」が中止になりました。

人間将棋(天童CCIの観光情報)

人間将棋は「天童桜まつり」の主要イベントの一つで、毎年4月下旬に天童市の舞鶴山で開催されています。
将棋を戦国時代の合戦に見立て、舞鶴山に据えられている巨大な将棋盤を、甲冑で身を包んだ40人の武士が、将棋の「駒」となって戦います。
それぞれの陣地には櫓があり、櫓から対局者が武将となって駒に指示を出し、実際の将棋のルールに基づいて対局を行います。対局者はプロの棋士や女流棋士がつとめるので、レベルの高い対局を間近に見ることができます。

過去2回、直に人間将棋を見に行きました。1度は卒業研究で将棋の歴史について調べていたとき、天童駅にある将棋資料館を訪れるときに、もう1度は妻が大ファンの橋本崇載七段が対局者となったときです(もちろん、妻を連れて行きました)。
解説が将棋を知らない人にもわかるように説明してくれているので、非常に丁寧で基本的なことも話してくれていたのを覚えています。

天童の被災状況は確認できていませんが、福島や仙台に近いことや、山形新幹線が今日まで不通状態だったこともあり、震災の影響は小さくはないでしょう。また、多数の観光客が来場するイベントを開催する人的な余裕もないでしょうから、今年開催できないのはやむを得ないだろうと思います(もちろん「自粛」という意味合いもあるでしょうが、それを脇に置いたとしても、です)。
いまはとにかく日常の生活を取り戻すことに専念してほしい。そしてかなりの程度で日常が取り戻されたなら、満開の桜の下でなくとも、人間将棋を開催してもらえたらと思います。
自分には応援することしかできませんが、東北に元気を与える意味でも、忘れないで応援したいですね。

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2011年3月28日 (月)

[勉強会]2011/3/27 PRESIDENT 3.21号、4.4号 読書会

○コミュニティ名:プレジデント読書会 in 東京
○名称:【2011/3/27(日)】13:30~16:00 PRESIDENT 3.21号『見捨てられない働き方』、4.4号『本物の上司、ニセモノ上司』 読書会
○日時:2011年3月27日 13:30~16:00
○場所:エクセルシオールカフェ 永田町店Googleマップ
○課題書:『プレジデント
2011 3.21号『見捨てられない働き方』(2月28日発売)
2011 4.4号『本物の上司、ニセモノ上司』(3月14日発売)
○参加者:3名

読書会で人を集めるのが、急に難しくなってきたように感じました。
前回が2人、今回が3人。この読書会も、別のコミュニティで募集している持ち寄りの読書会も、参加者不足のためそれぞれ一度延期しています。
震災の影響ではないのはわかっているのですが、理由がわからず困っています。原因がわかれば対策の打ちようもあるのですが、どこにどういう広告をすればいいのか。……難しいです。

今回の『プレジデント』2号は、震災前の発行。仕事の場において、働く側と使う側のそれぞれから、あるべき姿を桃花たちとなっています。
今回の震災でクローズアップされたのが、リーダーの資質でしょう。とくにこの国のリーダーである菅首相と、首相の側近として精力的に活動を続ける枝野官房長官が、多くの批判を受けながらも、被災者への支援と原発問題の対応に多くの指示を出しています。

自分は、もともと政治に何かを期待しているわけではなく、自民党が日本を腐らせるか、民主党が壊すかの選択で民主党を支持している形でしたが、震災後の対応で民主党には期待をかけています。国を率いる立場として、国民をパニックに陥らせない、かつ混乱させないという難しい仕事を、緊張の糸を切らさずに続けていることは、十分評価に値するかと考えています。
よく、政府は最悪の事態をどのように想定しているか明らかにすべしという意見を聞きますが、模試そのような態度を取ったらその瞬間に国民はパニックに陥り、想定でしかなかった最悪の事態が現実のものとなります。私たちやマスメディアの発言とは違い、トップの発言はその指揮系統にあるものにとって、仮定と現実を区別するのがほぼ不可能なのです。
あと、政府が都合の悪い情報を隠しているという批判も耳にしますが、情報収集の不備の問題であって、集まった情報を意図的に隠蔽しているのとはまた違うように思います。ここは自分の感覚なので、事実関係は知りようがありませんが。

もう一つ、読書会の場で話題になったのが、4.4号の後ろに出ていた東京都知事選の有力候補を取り上げた記事。自分は投票権がない(埼玉県民です)のでかなり勝手なことを放言してしまうかもしれませんが、やはり変革を期待したい。
石原都知事は、小説家で政治家という、言葉での仕事に携わっているにもかかわらず、先日の天罰発言は言葉の使い方として耳を疑うものでした。たしかに発言の意図はわからないでもない。震災をきっかけに日本人が自らの美徳を思い出した部分は実際にあったのですが、それにしても、ねえ。
渡邉・ワタミ前会長には、経営力と教育・介護に対する熱意を期待したいところ。政治手腕は未知数ですが、東京が、日本が今必要なこと、つまり財政・教育・福祉についての方法論を持っているのは強みとなりそうです。
都知事選は4月10日。最も注目される選挙となるのは間違いないのですが、誰が都知事になっても、政治の舵取りを誤らないでほしいと思いますね。

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2011年3月27日 (日)

[勉強会]2011/3/27 第9回 ビジネス雑誌勉強会 in 東京

○コミュニティ名:ビジネス雑誌勉強会 in 東京
○名称:【3/27(日)】第9回 ビジネス雑誌勉強会 in 東京【10時~】
○日時:2011年3月27日 10:00~12:00
○場所:エクセルシオールカフェ 永田町店Googleマップ
○課題書:
日経ビジネス
3月14日号「中高年は席を譲れ」
3月21日号「3・11 日本最大の試練」
ダイヤモンド
3月19日号「マネー暴走 資源沸騰」
3月26日号「新営業術 スマホ・クラウド・SNSを使い倒せ」
東洋経済
3月19日号「理数力で決める!学校&就職」
3月26日号「検証 大震災」
○参加者:7名

久しぶりに「ビジネス雑誌読書会」に参加してきました。
少し前から2週間おきの開催になり、3誌6冊をチェックする形になっています。自分が前に参加したときは月1回の開催で4週分12冊を見ていましたが、量が減ったぶん内容が濃くなったと思います。
今回は各誌とも東北大地震があった前後の発行という形になり、2週目は各誌とも震災特集となっています(ダイヤモンドも、緊急特集を組んでいます)。

読書会の場では話しきれなかった部分があるので、自分の思ったところを。
震災前の号では、日経ビジネスの「中高年は席を譲れ」が印象的でした。中高年となってはいますが、就職の場において、年齢を問わず無能な人たちが職を追われずに居座り、働きたい若年層が職にあぶれてしまう状況が、ここ何年か続いています。
ちょうど『『ワーク=ライフ』の時代』という本を読んでいることもあるのですが、席を譲るべきは中高年だけではなく、また職にあぶれている側もどれだけ本気で働くことを求めているか疑問に思う部分もある、と感じています。本誌で紹介されていたように、多様な働き方を提供することも大事なのですが、企業側は働きがいを提供し、従業員は働きがいを持って職務に就くことが忘れられているように思いました。
仕事は生活の手段だけではないはず(単に生活の手段でしかないなら、ここまで特集される必要もない)。また、大学は就職のための予備校ではなく、理系だから就職に有利だ(これは東洋経済が扱っている特集に重なります)というのも本来はおかしな話です。私たちは、仕事や学業の本質を考え直す時期に来ているのではないでしょうか。
これからは日本国内に閉じこもらない、グローバルな人材が求められているという事情もあります。ただ日本は「空気を読む」社会。社会の雰囲気が1つの方向性を作ってしまい、それ以外の考え方を表明することが許されないことが多く、グローバル時代の「多様性を受け入れる」社会とは全く異質であるため、仕事の本質、働く意味をどうとらえるか、世間の風潮に流されることのない、個人の強い意志が問われてきます。

震災後の特集では、首都圏で勤務していることもあって、電力供給の問題が気になりました。少なくともこの夏を節電や停電なしで越すことはできないし、今後は原子力発電を継続することは期待できないとすると、電力不足は恒久的な課題となります。
欧州では地球温暖化への対策として、火力から原子力へのシフトが起こっていましたが、これもダメ。かつ、温暖化対策を止めることはできないとなると、選択肢はかなり限られてしまうというか、現実的な選択肢がないといわざるをえません。
日本の総発電量は約1兆キロワット時。その6~7割を火力発電が、2~3割を原子力発電が占めています。このすべてをとはいわないまでも、かなりの部分をクリーンエネルギーやスマートグリッドなどの新技術でまかなうか、節電していかねばならないというのが、これからの私たちに課せられたハードルだということになります。欧州が先行してくれている部分はありますが、日本も新しい技術を出していくことが求められるでしょう。

震災から2週間がたち、復興のフェーズに移りつつあります。先に述べた「空気」は必ずしも悪いものではなく、被災者の方々に震災以前以上の生活を取り戻してもらう、そのために被災者でない私たちが手をさしのべる空気が醸成されれば、震災直後にそうであったように、復興の早さでも再び世界を驚かせることができると期待しています。
(内容が充実していたこともあり、いつもの倍近い分量を書いてしまいました。長文におつきあいくださりありがとうございました。)

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2011年3月26日 (土)

[読書メモ]石塚しのぶ『ザッポスの奇跡(改訂版)』

ザッポスの奇跡(改訂版)~アマゾンが屈した史上最強の新経営戦略~(石塚しのぶ)

ザッポスは米国のネット靴店ですが、近年大きく注目されています。
自分が最初に知ったのは『モチベーション3.0』の書籍の中で、従業員が自律的に働いている環境を作ることに成功した企業として紹介されていました。そして、自分の現在の勤め先でも先輩社員がこの本を紹介してくださっていたので、遅ればせながら手に取ってみました。

ザッポスの顧客サービスは、当然ながら特筆に値します。顧客サービスの担当者は、顧客(小売店なので、一般のエンドユーザー)からの要望に応えるためのあらゆる権限を持ちます。一律のサービスは行われませんが、すべてが顧客満足のため、要望に応え、要望を超える対応を行うためのものです。
そして、どういった対応を行い、顧客を喜ばせることができた(WOWを与えた)かを紹介し合う仕組みができていて、ほかの顧客担当者も参考にしたり刺激になったりするようになっている、というのも大きいと思います。

顧客対応でここまでできるのは、すべての従業員が、ザッポスの経営理念を理解し、信じ、実行しているからです。経営理念を共有しない、ただ利益を求めるだけの人材は、ザッポスから追われます。それは会社のためだけではなく、『モチベーション3.0』でいうところの自律的に働く意欲を失った人間に、別の場所を与えるという意味もあります。
ここは『ビジョナリー・カンパニー』の受け売りですが、成功を続けている会社ほど自社の経営理念を重視しています。経営理念をただのお題目にするのではなく、その会社がその会社であるための中心軸であり、たとえ業態や株主が変わろうとも変わらないものとして位置づけ、すべての従業員に経営理念を共有して動くことを求めています。

はっきり聞いたわけではありませんが、今の勤め先は、ザッポスのやり方をお手本にしようとしているように感じています。自分は中途入社なのですが、大卒新入社員には面接時に経営理念への共感を問い、入社後も経営理念を共有できるように働きかけを継続しています。
何か押しつけられているように感じられるかもしれませんが、何年何十年と一緒に働く仲間となるわけですから、仕事の根本のところで意識が共有できていないと、仕事を楽しめない(「仕事を楽しむ」こと自体が、私の勤め先の経営理念の一つになっています)と思いますし、意識が共有できる人間だけを集めていくことは経営戦略としても理にかなっているでしょう。
ザッポスは顧客サービスばかりが特筆されているようですが、その根本にある経営理念についても、大事にしていかなければならないと感じました。

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2011年3月25日 (金)

[ITニュース]ブロガーズ・ネットワーク翼に移行しました

このブログで展開していた「IT道中膝栗毛」ですが、「ブロガーズ・ネットワーク翼」に移行することになりました。
新・たまご915のIT道中膝栗毛

震災の直前ですが、「ブロガーズ・ネットワーク翼」の管理人さんから連絡があり、ぜひ書いてほしいというお話しがありました。管理人さんが以前別のニュースサイトの読者ブログで記事を書いていたときに、その記事を私が取り上げていたのが縁となっていました。
悪い話ではありませんので、(震災のドタバタもありましたが)ほぼ二つ返事で話を進めて、今日の移行にこぎ着けました。

移行後最初の記事は、今月22日にリリースされたFirefox 4の記事です。上記リンクからどうぞ。

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2011年3月24日 (木)

[読書メモ]川辺謙一『図解・地下鉄の科学』

図解・地下鉄の科学 (ブルーバックス)(川辺謙一)

以前、別の地下鉄本を紹介したことがありましたが(2011/2/13の記事)、今回紹介するブルーバックスのほうが、ずっとおもしろく読めました。
タイトルにも「科学」と入っていますし、ブルーバックスですから、地下鉄を作ったり走らせたりする技術や科学について重点が置かれています。歴史についても記載されていますが、余計な憶測を交えずに、公開されている情報をきちんとまとめるだけでも、十分に読み物として成立しています。

たとえば、自分が通勤の乗り換えに使う、永田町駅。この駅のことがどちらの本にも書かれていたので、事例として取り上げてみます。
南北線と半蔵門線は、ホームが立体交差しているように見えるのに、直接連絡する通路がありません。素人目に考えても、両線のホームがシールド工法で作られているため狭いからだとか、ねじれて交差しているため通路が設置できないとか、それなりに理由はあるはず(裏付けは取っていません)。それを間に何か隠された構造物があるからだとか、言い出してもキリがないと思うのです。

東京の地下鉄は、路線図を見ているだけでも目が回りそうになりますが、実際には立体構造を考えて路線が作られており、勾配やカーブの大きさなども列車を走らせる際に重要な要素となります。また、地下には地下鉄だけではなく、水道やガスなどのライフライン、高速道路、地下街なども入り組んでおり、非常に緻密な計算で成り立っています。
本書で取り上げている例でいうと、新宿三丁目駅に副都心線を通す際、丸ノ内線と都営新宿線の間に線路を掘ったのですが、副都心線と都営新宿線のトンネル間の距離は最も狭い部分で11センチ(!)だそうです。掘り損ねて新宿線のトンネルを壊していたらどうなっていたことか(笑)。

その他、地下鉄の運行や、私鉄やJRとの乗り入れについても書かれており、ITを含めた技術力で、非常に複雑なダイヤグラムに沿った運行システムができあがっているのが見て取れます。
(現在、震災による節電ダイヤで各線が運行していますが、これができるのもシステム制御がしっかりしているからと言えるでしょう。)
東京の地下鉄がこれだけの精度を維持しながら走っているのは奇跡に近いと思いますが、裏側でどのような努力があったか、どういった技術の上に成り立っているのか、知りたい方は読んで損はしないと思います。

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2011年3月21日 (月)

[読書メモ]竹田恒泰『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』

日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか (PHP新書)(竹田恒泰)

日本に生まれ、日本でだけ生活していると、自国の悪いところばかり目についてしまいます。ですがよくよく考えてみると、自分の住むところについては悪い情報が入り、そうでないところからはあまり入ってこないため、「隣の芝生は青い」となってしまっている部分はないでしょうか。この本はそれを考えさせられる一冊でした。
外国から日本を評価すると、こちらが気恥ずかしくなるくらいポジティブな情報も出てきます。本書はそのポジティブな部分だけをすくい取ってまとめたという感じでしょうか。

これの直前に読んだのが「日本辺境論」でしたが、両方をあわせて読むと今の日本がおかれている問題のひとつについて、その根本が見えてきます。それは、愛国心。
国の成り立ちにおいて、日本が諸外国と全く異なる部分は、日本がいつ、なぜ建国されたのか、どこから独立したのかが明確でないことです。なので日本という国、そして天皇という存在は「はなからあった」もの、すなわち所与のものであり、外から与えられたものと認識されます。このことが、日本人の愛国心に少なからず影響を与え、諸外国の国民が持つ愛国心とは異なった様相を呈していることは間違いないでしょう。
先の太平洋戦争の反省とからんで、天皇制の是非を問う意見はたびたび出ますが、この議論ではいつも、欧米の物差しで日本を測っているような違和感を持ちます。天皇制を日本の物差しで測れば、現行憲法の「象徴天皇」というのが非常にしっくり来ているのではないかと感じます。
日本がみずからの国の成り立ちをきちんと説明できないのも、神話を語り継げない国になったのも、日本の国の成り立ちがこのように特殊であるにもかかわらず、欧米の基準でものを見ようとしているからといえるでしょう。

そしてもう1点、本書と「日本辺境論」に共通して書かれていたことをあげておくと、ラテン文字の文化圏では左綴じの書籍しかないのに、日本のマンガが認知されると、欧米でも右綴じで書店に並ぶようになったことです。
これは考えてみれば物凄いことで、本書では欧米の文化を日本が変えたということに他ならない、とされています。また「日本辺境論」によると、意味(視覚)と音(聴覚)の両方を持つ日本語の特性が、絵とフキダシを持つマンガとよく整合したことがあげられています。
たかがマンガと侮るなかれ。日本には平安時代には絵巻物が成立しており、マンガの原点だとも言われています。また、マンガを卑下するのは、欧米基準の考え方であることも指摘できるかと思います。

冒頭の食の話も含めて、日本文化は世界に誇ってよいものだといえるでしょう。欧米基準で比較してしまい(というか、欧米の文化と異なるからと言って)、むざむざ捨ててしまうようなものではありえません。
日本文化と欧米の文化は、その本質からして異なるものです。比較する意味すらない。両方のよいところを取り入れて、新しい形の日本文化を作れるはずです。
これまでの私たちの先祖も、そうしてきたのですから。

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2011年3月16日 (水)

[読書メモ]内田樹『日本辺境論』

日本辺境論 (新潮新書)(内田樹)

3月11日の震災前に買っていた本ですが、読んだのは震災の後になりました。
震災の混乱の中で、暴動などはほぼ全く起こらず、長い時間列を作って給水を待ち、少ない食料を分け合う日本人の姿を、外国メディアは驚嘆のまなざしで見つめていました。望んだ形ではないものの、日本が世界から注目される状況となり、この状況を踏まえて考察してみました。

日本人にとっての「問題解決」とは、解決策とは必ずどこかにあるもので、それを見つけることであるという話を聞いたことがあります。決して、自分たちで解決策を作り出すものではないのです。だから日本人はオリジナリティがないのだ、という論につながりますが、この考え方自身、理想を外部において、日本と比較する形になっていますね。結局、どこまで行っても日本人は日本人的考え方から抜け出せないようです。
自分の中に基準がなく、外にある基準に自分たちが合わせることしかできない。たとえ自分たちが基準になることを考えたとしても、外を自分たちの基準に合わせるとしか考えられず、それは単に内外を逆転させただけに過ぎない。ここまでばっさり切られてしまうと、苦笑しつつも受け入れざるを得なくなります。
先日の地震の際に、順番待ちで長時間きちんと列を作っていたこと。また逆に、首都圏では数少ない商品の買い占めが問題になっていること。どちらも心理的には同じことで、基準は自分の外にあって、「みんながそうやっているから」以上の理由はないはずです。自分の中に基準を持てないことが、よい側にも悪い側にも働くのは、興味深い現象と言えるかもしれません。

さて。日本人が間違いなく苦手だと思うことで、今後求められてくることが1つ。
それは、社会の「多様性」を認めることです。
外に絶対の理想がありそれに倣ってきたこと、あるいは場の空気に流されて行動を続けてきたこととは全く異質の考え方で、複数の事象や考え方を、比較することも優劣をつけることもなくすべて受け入れることが、私たち日本人には非常に困難な作業になるものと思われます。
2つの異なる考え方がぶつかったとき、どちらかが押し通すか両方が妥協するかしか考えられないのですから、「両方の意見を尊重する」ことが私たちには難しいのです。
なお、メタな視点で見れば、両方の意見を尊重するのと他のやり方を比較すること自体、2つの考え方がぶつかっているわけですから、どちらがいいとか悪いとか考える時点で、私たちは日本人なんだなあと思ってください。

まとめますと、私たち日本人、そして日本という国の本質的なところは、「外からどう見られているか」なのでしょう。自分で考えて結論を出しているように見えても、その基準は外部の評価がどうか、ということ。
とはいえ、外部の評価を気にするのは決して悪いことではなく、今回の震災でも復興する段階に入りつつありますが、力を合わせて復興させるのだという雰囲気が醸成されれば、再び世界を驚かせることができると信じています。

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2011年3月15日 (火)

[読書メモ]リサ・ ガンスキー『メッシュ』

メッシュ すべてのビジネスは〈シェア〉になる(リサ・ ガンスキー)

この本のタイトルでもある「メッシュ」は、ネットよりも細かい目の網のこと。これまではリアルからウェブへ、という流れでしたが、リアル社会にもウェブと同じ考え方が浸透し始め、リアル社会に張られた細かな網の目のように人と人とをつなぐビジネスを、「メッシュ」という言葉で表現しています。
まだ自分の中でも咀嚼し切れていませんが、冒頭のジップカーの事例がわかりやすいかと思います。ビジネス的にはレンタカーの一種と考えてよいのですが、営業所で車を借りるのではなく、借りられる車は街中の駐車場に分散して停められており、自分の近くにある車を借りることができるようになっています。返す場所も、自分が車を必要としなくなった場所ならだいたいどこでもよく、その近くにいる別の会員がそこから乗ってくれます。どれくらいうまくいっているのかわかりませんが、非常におもしろいビジネスモデルだなと思いました。

経済的あるいは環境的に、大量生産大量消費社会の限界が見え始め、所有から共有(シェア)に、という動きが出てきています。メッシュは共有からさらに一歩進めて、不特定多数とのシェアという概念が表に出ます。ウェブに閉じた世界の話ではありませんが、その核となるのは、やはりウェブの普及で、大量の情報が一瞬のうちにやりとりできるようになったことがあげられます。シェアする相手をすぐに見つけられる環境が整ったというのが、ビジネスに大きなインパクトを与えているように思います。

これからのビジネスを考える際、ウェブだけ、あるいは実社会だけというのは難しいのかもしれません。ウェブと現実社会を結びつけ(10年前には「クリック・アンド・モルタル」という言葉がありましたが、もっと融合した感じで)、現実社会が新しい価値観を求め始めていることに対応したビジネスが、これからの主流になっていくのではないかと感じています。

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2011年3月14日 (月)

[雑感]震災後3日、今あえてマスコミを批判する

震災から3日たち、東京は平静を取り戻してきています。電車が動かないとか輪番停電だとかありますが、もう「日常に戻った」と考えてよいと思います。
(ちなみに私は埼玉県川口市民。通勤や停電で影響は受けますが、日常を逸脱するものではない、という意味です。)
普段通りの生活を送り、経済を回すとともに、被災地を暗くさせない心がけが必要になってくる時期です。

昨日まではNHKを中心としたテレビの放送を、今日はインターネットの大手新聞社のニュースサイトを中心に情報を追っていましたが、報道する側に被災地を元気づけようとする意識が乏しいのに気づかされます。
政府や東京電力(原発事故もあるので)の失態を追うか、被災地の悲惨な状況を垂れ流すか。刺激的な内容で視聴率は取れるのかもしれませんが、私たちの知りたい情報はそこにはありません。

被災者が何を欲しているのか、私たちが被災者に何ができるのか。
今報道するべきなのは、その2つのはずです。
停電するのかしないのか判断が二転三転したとか、電車が止まって会社に行けないとか、被災者でない人間の迷惑は、いまはどうでもいい、といっても罰は当たるまい。福島の原発事故についてさえ、状況が変わらないのであれば大きく取り上げることもないでしょう。

今、あえてマスコミを批判します。
被災された方々は、ただ援助を待つだけの人ではありません。これから自ら立ち上がり、津波で奪われた家を、街を取り戻す人たちです。
どうして、あなたたちは彼らを助けるための情報を提供しないのか。
どうして、あなたたちは援助を行う政府の足を引っ張ろうとするのか。
どうして、あなたたちは彼らを元気づけようとする私たちを、傍観者として報道するしかできないのか。
はっきり言います。マスコミより自分のツイッターに流れる情報のほうが、私を元気づけてくれます。もちろん被災者も元気づけられているでしょう。

マスコミのみなさん、自分たちに「世論を動かす」役割を担っているという矜持があるなら、世論を被災者の復興支援に向けて動かしてください。
心よりお願いします。

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2011年3月12日 (土)

[将棋]公益法人化と新棋戦

昨日(2011年3月11日)の地震にて被害に遭われた方が多数おられるかと思います。
私が自分一人でできることは限られてしまいます。国家や政府は、自分には遠すぎてなくてもよいものと思ってしまいますが、被災された彼らにこそ必要なものですので、適切な対応を取っていただけること、心よりお願いいたします。

今月、将棋界にはうれしいニュースが2つありました。

■日本将棋連盟が公益社団法人へ(3月4日)
http://www.shogi.or.jp/topics/2011/03/post-380.html

■リコーと日本将棋連盟が、女流将棋最高峰タイトル戦「リコー杯女流王座戦」を設立(3月10日)
http://www.shogi.or.jp/topics/2011/03/post-381.html

公益法人化は、制度変更が発表されて以降の将棋連盟の悲願でもあり、給与と見なされる手当の廃止(廃止相当分は対局料で充当)、将棋普及事業のいっそうの注力、一部の女流棋士を正会員とするなど、公益法人認定の妨げとなっていた慣例を次々と変えていっていました。その成果が今回の認定につながったといえます。
とはいえ、認定されたことがゴールではなく、これからの活動に期待していきたいと思います。将棋の歴史を研究していた立場からも、将棋は日本の伝統文化の1つであり、伝統は継承してもらいたいと考えています。文化の形は時代によって変えつつも、本質を変えないことが重要だといえるでしょう。

女流新棋戦、6つめのタイトル戦になります。スポンサーが増えること、とくに新聞社に偏っていたのが多くの業種から応援していただけることは、一将棋ファンとしても非常にうれしく思います。
女流棋界は、里見女流三冠、甲斐女流二冠を筆頭に、新しい力が伸びてきています。女流棋士を目指す女性たちが減っており、女流棋士への登竜門である女流育成会は活動を停止してしまいましたが、今回のニュースをきっかけに女性への将棋普及、そして新しい女流棋士の誕生につながればと思います。

さて、冒頭にも書きましたが、昨日宮城県を中心に地震による大きな被害がありました。私は東京で勤務していますが、地震の影響で首都圏の交通が麻痺し、帰宅が午前4時になってしまいましたが、その程度で済んだのだというのが実感です。
1923年の関東大震災では、若手棋士だった木村義雄14世名人が新聞棋戦を復活させ、被災者の心の助けとなったと、『近代将棋』誌の連載にありました。
1995年の阪神・淡路大震災は、谷川浩司王将が羽生六冠との王将戦を転戦中の災害でした。谷川王将はその王将戦で羽生の七冠を阻止し、神戸に希望を与えました(羽生の七冠獲得はその翌年。六冠すべてを防衛して王将位も奪取)。
今回の震災も、将棋界としてできることがあるはず。それは公益法人としての責務でもあります。

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2011年3月 5日 (土)

[Wikipedia]特筆性

ウィキペディアでは、メインページにあるように、「方針に賛同していただけるなら、誰でも記事を編集したり新しく作成したりできます」とあるわけですが、この方針が結構くせ者だったりします。くせ者というとあれかな。十分に理解されていないというべきかなと。

方針(厳密に言うと、方針の草案を含んでいます)の1つに、「特筆性」という基準があります。ようは一般人や無名の団体・企業の記事を作らないでほしいということなのですが、知らないでやってしまうのかいたずらなのか、自分や友人の名前で記事を作ってしまうことがよくよくあります。
客観的に見て、明らかに一般人である場合は削除されるという結論に議論を待たないのですが、難しいのはインディーズバンドであったり、無名の団体や企業であったり、同人誌や自費出版の作者の記事。記事を作成する人は特筆性があると思っていても、ウィキペディアの基準ではそうはならない、という例には枚挙にいとまがありません(削除依頼を覗いてみてください)。

ここからは自分の思い込みかもしれませんが、ウィキペディアで宣伝や売名行為をされるのが嫌で(広告記事は削除対象ですが)、特筆性を盾に無名な団体や人物の立項を認めない立場や、それが許されるならあれも許されるが、ウィキペディアはインディーズバンド(でもアマチュアの野球選手でもなんでもいいのですが)の名鑑ではないので認めないという立場もありそうです。
そうなると、特筆性という基準を持ち出すのはちょっと違うんじゃない?という違和感を持ってしまうわけです。売名や分野の偏りを認めない立場で記事の立項を制限するのであれば、そのような方針を作るのが筋であって、特筆性云々で網をかけるのは適切ではないように思うのです。

そもそも、特筆性という基準はいらないのではないかと考えています。
どんな記事を立項してもいいという意味ではなく、別の方針である「信頼できる情報源」からの言及を示していない記事の存在を認めないことで、基準は維持されると考えています。
言い換えれば、特筆性の基準を「信頼できる情報源からの言及があること」に単純化してしまうということです。できれば複数の情報源からの言及を求めたいですが、一足飛びにそこまで引き上げるのは厳しいかな。

宣伝や売名で記事をたてられても、いいじゃないですか。作成者の意図通りに記事が書かれるわけではなく、より中立で客観的な方向、ときには厳しい批判的記述が入るような形で改変することができますから、そこでバランスが取れるはず。
つまりは宣伝で記事を書くことはできませんよ、というのを、記事の削除ではなく内容の修正で行っていくことが、記事を質量ともに高める結果になるといいたいのです。

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2011年3月 4日 (金)

[読書メモ]D.カーネギー『人を動かす』

人を動かす (HD双書 (1))(D.カーネギー)

カーネギーの代表作を文庫版で入手できたので、そちらで読んでみました。比較はしていませんが、新装版からは一部の内容が省略されているように思われます。それでも十分な読み応えがあり、参考になる部分も多々ありました。

この本で取り上げられている50年前のアメリカ人は、単純だし賢くないし自分のことしか考えていないようにも思えます。今ならもっと人はずるがしこくなって、相手の優しい言葉の裏にある意図に気づいてかいくぐろうとしたり、弱みにつけ込んでさらに居丈高になったりしそうなものです。とはいえ、基本的なところは今も昔も変わらないのでしょう。

どんな場であれ、自分が評価され、期待されていると感じれば、その評価や期待がモチベーションとなり、自発的な行動を促します。期待していることを伝えるのは、実はそれほど難しくないはず。ただ、期待を伝えることの重要性を、多くの人が気づいていないだけで。
親と子、上司と部下、顧客と取引先のように上下関係があれば、指示や命令で相手を動かすことはできますし、そのほうが簡単でしょう。それに慣れてしまっているから、本書にある人の動かし方を知らなかったり、知っていても実践しなかったりするわけです。

昨年日本語訳が出版され、私自身深い感銘を覚えた『モチベーション3.0』にも、自律的な行動が取り上げられています。自律的な行動は、指示や命令によるものではなく、また指示や命令による行動の何倍もの効果をもたらします。
それは自分にとっては当たり前のことなのだけれど、そう思っていない、あるいは気づいていない人も少なくないように思います。もしかしたら、気づいていない人たちは、自分が自律的に行動した記憶がなく、常に指示や命令のもとでしか行動していなかったのかもしれません。非常に不幸なことですが。

自発的な行動の効果に気づくのも、人を動かすのに評価や期待をもってするのも、ちょっとしたきっかけを経験してからだと思います。その小さなきっかけは、どこに転がっているかはわかりませんが、意識していないと見逃してしまうところにあります。小さなきっかけを意識し、気づくことから、人間関係の変化が始まるのだろうと思います。

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2011年3月 2日 (水)

[読書メモ]ももせいづみ『「女のしあわせ」がなくなる日』

「女のしあわせ」がなくなる日―“本当にハッピーな人生”を手に入れるためにすべきこと (主婦の友新書)(ももせいづみ)

タイトル通り、もちろん女性向けの本ですが、男性の自分が読んでも十分納得のいく内容でした。性差をことさらに意識させるわけでも、何らかの価値観を押しつけるわけでもなく、むしろ既存の価値観から自由になってほしい、という作者の思いを感じました。

女性は結婚するべきだ、結婚したら子供をなすべきだ、子供ができたらきちんと育てるべきだ、その一方で女性は社会に進出するべきだ――。こうやって、女性は既存の価値観に押しつぶされてしまっています。
もっとも問題は男性も同じで、男は家庭を養うだけの収入を得るべきだ、マイホームを持つべきだ、定年まで正社員として働きあげるべきだ、その一方で家事も妻と分担するべきだ――と、やはり価値観にとらわれています。社会がマニュアル化したというか、相互に監視し合う社会になってしまい、とにもかくにも減点されないことが最優先となっている現状が、非常に息苦しいものに感じられます。

自分はまだ、そういった価値観からある程度自由になれていると思うのですが、女性も男性も多くの人が古い価値観に縛られているように思えます。
IT化の進展で、手に入る情報が格段に増えたことで他人の事例(成功も失敗も)が多く見えるようになり、結果として価値観にとらわれる状況をかえって強化させているのが現実でしょう。
そこには自由もなければ本人の意思もない。そんな価値観に何のしあわせを見いだすのか、そう作者は問うています。

そして既存の価値観を否定するだけではなく、かといって作者自身の価値観を押しつけるのでもなく、「こういう考え方もあるんじゃないの?」という道を示してくれています。つまり、作者は女性に問いかけていますのでその視点になりますが、子供を産んだからといって仕事を辞める必要はないし、仕事と家庭を両立させる必要もない。あれもできない、これもできないと自分を卑下するのではなく、自分ができることに自信を持って取り組めばいい。
そう考えることで、気持ちが楽になりますし、本書のテーマである「しあわせ」も、見つけ方に答えがあるわけではなく、案外身近なところに転がっていることに気づかされます。

そういうわけで、男性が読んでも十分役に立つ1冊だと思いました。

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