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2011年10月

2011年10月30日 (日)

[勉強会]2011/10/30 新聞記事で朝食会@永田町

○コミュニティ名:新聞記事で朝食会~Let's朝活~
○名称:10/30 新聞記事で朝食会@永田町
○日時:2011年10月30日 10時00分~11時30分
○場所:エクセルシオールカフェ 永田町店Googleマップ
○参加者:2名

新聞朝食会、初めての自分の主催となります。
今回は自分が発表するネタで、地元の埼玉新聞を持って行くつもりでした。月に一度、最終日曜日に「サイタマニア」という企画ページがあり、埼玉県内のサブカルチャーを取り上げているので、ちょっとおもしろいかなあと思っていたのですが、今日の紙面に
「おことわり:月刊サイタマニアは休載します」
だそうでorz。月に1回の企画を飛ばすのか。
ちなみに埼玉県はアニメの舞台としてしばしば取り上げられ、ニコニコ動画的には「新聖地」だそうです。サイタマニアにも連載中の『らき☆すた』では、舞台となった鷲宮(久喜市)が地域を挙げてアニメでの町おこしを図るなど、新しい文化として根付きつつあるので、そのあたりも紹介してみたかったのですが。

参加者が自分ともう1名、大阪から出張に来ていた「[朝]日本経済新聞を読む会@大阪」コミュニティの管理人さんでしたので、大阪でのコミュニティの話も聞きながらになりました。
大阪のコミュニティは、管理人さんが地元にいる(出張が多いそうです。今日も東京出張の空き時間に来られていました)ときにはほぼ毎日開催しているとのことで、勉強会を通してかなりの知識が集約できているのではないかと思います。常連の参加者がいますので、投資や東南アジア経済など、参加者の皆さんの業務に近いところでの話題が多いという話でした。
自分も、勤め先がスマートフォンや電子書籍に力を入れていますので、IT関連の記事の中でもそういった話題に興味を持ちますから、同じですね。ほかの方の興味ある分野の情報をもらい、自分の興味を伝えてシェアしていくのが、勉強会のよいところだと思います。

さて、埼玉新聞が使えませんでしたので、自分も日経新聞から話題を拾って、タイの洪水による影響と、円高の話題が取り上げられました。
タイの洪水が、今年に限ってここまでの被害になった直接の理由はわからないのですが、政情不安が続いて治水対策が後手に回っていたこともあるようです。また、東日本大震災と同じく、被災した工場が外国に逃げてしまい、復興後も戻ってこない可能性も強いのではないかと思います。日本企業もたくさん進出しているのですが、日本に起こった問題をタイでは起こしたくないと考えるのか、あくまでもビジネスとして有利な行動に出るのか、どちらが正しいとはいえないのですが、今後の判断が分かれる部分ではないかと思います。

円高に関しては、日本政府の「1ドル=75円台では介入を考える」という発言が、76円台を容認するメッセージと取られているようで。今後も現在の水準での円高が続くような雰囲気だそうです。ただ、国内の物価を見ると、原油や小麦などの原料市場が高騰しているのを打ち消す方向に円高が働いているため、必ずしも円高が悪いわけではないという見方もできます。
(たとえばガソリン価格は、レギュラーの小売価格が東京や埼玉では1リットル140円前後ですが、もし円安の状態であれば200円近くまでいっているだろう、ということでした。)
原料の高騰の原因として、株式市場の低迷で投資資金が先物取引に流れていることがあげられるとのことで、実は円高ともつながっている(円高はドルとユーロが弱いため、相対的に安全な日本円に資金が流入している)といえ、世界はつながっているのだと感じさせられる話でした。

TPPの話題も、この日の日経新聞には賛成反対の両方から考える対談記事が出ているなど、読者が考えさせられる紙面構成になっていました。TPPに参加するのもしないのもメリットとデメリットがあるわけで、現在の議論は相手のデメリットをことさらに取り上げる論調が強く、建設的ではないなあと感じます。
TPP参加で何が変わるのか、現在わかっている情報とその分析をまとめるだけで本が1冊できそうなのですが、そういう書籍って出ていましたっけ。自分が知らないだけかもしれませんが、あまり紹介されている雰囲気もないですし、よい本があるなら読んでみたいです。

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2011年10月24日 (月)

[勉強会]2011/10/23 新聞記事で昼食会@日本橋

○コミュニティ名:新聞記事で朝食会~Let's朝活~
○名称:10/23 新聞記事で昼食会@日本橋
○日時:2011年10月23日 13時00分~14時30分
○場所:ZEN茶’feGoogleマップ
○参加者:6名

この日起きたら11時前で、慌てて家を飛び出してきました。
昼からだと思って安心して目覚ましをかけずに寝たら、13時の約束に寝坊する羽目になりそうした(汗)。

この勉強会は最近の新聞記事を持ち寄り、記事を紹介しながら意見をシェアするもので、新聞記事であればテーマは自由です。今回はこのようなテーマとなりましたが、普段はもっとゆるいテーマが出てくることもあります。
今回も、皆さんの視点がいろいろなところに向いていて、非常におもしろいと思いました。

○「診療できる看護師」制度創設へ(10/23、日経)
実務経験と試験合格で「特定看護師」を認定する制度を設け、特定看護師は緊急時や在宅医療において、一定の範囲内で診察できるようにし、医師の負担を減らす意図があります。
基本的には賛成という人が多かったですが、医療の品質に不安を感じる意見もありました。

○オリンパス内部告発事件、2審で逆転勝訴(9/1、毎日)
社長交代とは別の事件です。コンプライアンスを訴えた社員の身元が上司に知られ、閑職への異動を余儀なくされたことが正当かどうかの裁判がありました。
そもそも、なぜ匿名での告発が身元を知られることになったのか、その部分の解明と再発防止が待たれると思いました。

○イノベーション②「起業が割に合わない国」(10/23、日経)
ITベンチャーを中心に、日本と米国・シリコンバレーを比較した連載です。
ベンチャー企業に勤めるひとりとして、起業のリスクが大きいのは当然として、日本の社会がリスクを受け入れる環境になく、安定志向に走っていると感じますね。

○都心の富士見坂“全滅”(10/21、東京)
富士山が見えることで、江戸時代に「富士見坂」と名付けられた地名は都内各所にあるのですが、山手線内とその付近で現在唯一実際に富士山が見られた日暮里の富士見坂が、遠く離れた新宿の開発で、富士山が隠れてしまうことが懸念されています。

○基礎からわかるTPP(10/23、読売)
11月のAPECまでに、日本のTPP参加の判断が下されるということで、賛否両論の意見が出てきています。
ここでもTPP参加に賛成の意見があった一方、日米FTAをまず結ぶべきではないか、農家の反対も理解できる、という意見も出ました。

このブログでは、一番大きなところで、TPPの話題を取り上げたいと思います。昨年来日経新聞では、TPP参加が国是であるという主張を繰り返しており、自分も自由競争を促進することが産業の発展につながるという立場で、賛同しています。
コメを初めとする農産物の貿易自由化で、農業が壊滅的な打撃を受けるという指摘もありますし、米国を富ませるだけではないか、外国人労働者の増加で治安が悪化するのではないか(実際には、外国人の単純労働者の受け入れは議論になっていないとのことです)という主張もありますが、それでもやはり、競争に負けるのを恐れて国の活力を失わせるのが果たして正しいのか、疑問に思います。
農業に関しては、国の補助に頼る現在の政策を改めて、企業も含めた大規模経営体の実現と、国際競争力を持った農業への移行が望まれるでしょう。これはTPPに参加するか否かにかかわらず、日本の農業を立ち直らせるために必要な大手術といえます。

あと、今回は取り上げられませんでしたが、タイの水害についても気になりますし、今日の午後にトルコで大きな地震があったようです。
タイのほうでは、日本企業が撤退を始めていて、東日本大震災でサプライチェーンが海外に逃げ出してしまった事例を思い出させます。また各国から日本に義援金などの支援がありましたが、日本からタイやトルコへの支援はどうなるのか、気になるところです。タイへは、企業単位で数百億円単位の支援があったようです。トルコはこれからですが、自分も何かしないといけないように思います。

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2011年10月23日 (日)

[読書メモ]井上裕之『30代でやるべきこと、やってはいけないこと』

30代でやるべきこと、やってはいけないこと (戦略的に人生をつくる19のリストと56の言葉)(井上裕之)

私自身、30代も後半になってきたこともあり、自分の生き方はこれでよかったのか、このままでよいのかと、考えることが多くなります。仕事や人生において、1つでも上のステップに進みたいという気持ちはあるのですが、そのためにどういう行動を取ればいいのかがわからず、楽をしたいという気持ちに負けてしまうことを、繰り返しているように感じています。
その結果として、指針を求めていろいろな本に手を出してしまうのですが、こういうところは、自分の弱さなのかもしれません。

この本も「30代」というタイトルに惹かれて購入しました。やはり考え方を変え、行動を変え、習慣を変えていかなければいけないということがでてきましたが、著者が重視しているのは潜在意識を変えていくことだということでした。
潜在意識というのは、個人個人の中にいつの間にか投げ込まれている感覚や価値観で、本能的にわき上がってくる快不快の価値観や「今日はうまくいきそうだ」といった予感、瞬時に判断を求められたときに現れる直感の部分にあたります。本能や無意識の部分でポジティブに感じられれば、成功に向けて努力しやすくなり、結果成功にたどり着きやすいということはいえるので、自分の潜在意識がどのようなものであるかを知ること、そしてポジティブな潜在意識を持つことが大事だとあります。

潜在意識の持ち方、変え方については、もう少し掘り下げてほしかったのですが、セミナーなどで話される内容のようです。もう少しお金と時間を使わないと、得られないみたいですね。
それと関連するかもしれませんが、自己投資の重要性についても触れられていました。お金があれば自己投資に回せるのに、と考えるのではなく、将来のリターンのためにお金がなくても自己投資をする、という考え方に変えていこうということでした。また、リターンもため込むのではなく、淀ませずに自己投資に繰り返していくことでさらに成長していけるということです。
また、努力は裏切らないということも繰り返し書かれています。将来のどこかで、必ず見返りがある、逆の言い方をすれば、努力を怠った結果は必ず自分に跳ね返ってくる、ということです。楽をしたいという気持ちは、うまくコントロールしていかないといけないようです。
(余談ですが、こうやって並べると、著者さんは講演会やセミナーを開催していますので、自己投資の名目で自分のセミナーに誘導している要にも見えます。私の潜在意識は、この人のセミナーでは投資した以上のリターンを得られるとは思えない、とブレーキをかけているわけですが、その理由が自分にあるのかどうかまでは、私にもわかりません。)

話を戻して、最終章にある「やってはいけないことリスト」が興味を引きました。具体的に書いてしまうのは(いろいろな意味で)はばかられるのですが、最後の1つ、「失敗したと考えてはいけない」というのが強く心に響きました。失敗と断じるのは簡単ですが、それでは何も残りませんし、むしろ潜在意識にはネガティブな印象が植え付けられてしまいます。
自分もつい最近、仕事で大きな失敗をしたと感じた出来事があったのですが、それを次に生かすためには、その出来事からどのようなポジティブな結果を得たかというところに着目していきたいですし、またそうしなければならないと感じます。その出来事から少し時間がたっているので、ようやく落ち着いて考えることができたのですが、直後の時点でどう考えられるかですね。これは自分の課題になりそうです。

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2011年10月22日 (土)

[読書メモ]アルボムッレ・スマナサーラ『怒らないこと』

怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉(アルボムッレ・スマナサーラ)

怒る。一義的には声を荒げて感情を爆発させて他者を非難することをいいますが、本書ではもっと広い意味に取られており、ある対象に対して負の感情を持つこととなるかと思います。その対象は他者や集団にとどまらず、自分自身への怒りも、同様に批判されるものとなります。
怒りがなぜダメなのかは、簡単な話で、怒りは誰も、怒った当人も幸せになれないからです。これは仏教説話によらずとも、日常の経験で理解できるかと思います。だから怒ること、負の感情を持つことがダメなのであって、あらゆる物事をありのままに受け入れて、負の感情を持たないようにすることが求められているわけ3です。
そのための訓練というのは、とくに決まった形のものはないのでしょう。修行や座禅のようなことをして、心を無にするということはできるのかもしれませんが、その場だけで終わってしまうようなものでは意味がないわけですし、やはり継続的に心の持ち方を変えていくしかないのだろうというのが実際のところでしょう。

自分自身のことをいうと、30歳を過ぎたあたりから、他人に向けて感情を爆発させることはほとんどなくなりましたが、それと反比例するように自分に対するネガティブな評価や感情、本書で言うところの自分への怒りが増えてきたように思います。
自分への怒りがなぜ発生するかというと、「自分はできる」「自分は正しい」という認識と、現実の成果の間にギャップが生じるので、そのギャップが怒りという形で現れてくるのだといえます。そのギャップを埋めて、「自分は全く完全な存在ではない」「自分は間違いばかりだ」と認識することによって初めて、怒らなくなれるということでした。

このあたりは正しく読み込めているのかどうかわかりませんが、不完全な自分を求めることと、現状を是認して成長を止めることとは異なるのでしょう。作者はスリランカの仏教僧であり、スリランカは上座部仏教の国で、個人の悟りを重視しますから、悟りに至るまでの修行、成長を止めることをよしとはしないはずですし。
ともかく、不完全な自分、小さな自分を認めつつも、より高いところを目指していくのが大事だということになるかと思います。今は期待された成果を出せなくとも、次はもっと自分を高めて、よりよい成果を出せるようにしていければ、ということになりますし、そう考えられるようになりたいものです。

余談になりますが、仏教って結構怖いです。怒ると叱るは別ですし、悪いことをした人に罰を与えるのも怒るのとは別という考え方なのですが、ここでいう罰がその人を徹底的に無視すること、存在すら否定されてしまうことだというのが、叱られて改善を求められるどころの厳しさではないと感じました。
私が自分の存在を無視されるようなことがあれば、生きていくことすらつらくなるでしょうね。

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2011年10月17日 (月)

[読書メモ]山田昌弘『希望格差社会』

希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く(山田昌弘)

21世紀に入り、日本を含む先進国で様々な経済問題が起こっています。国家レベルでは日本の「失われた10年(20年とも)」をはじめ、米国ではリーマンショック、欧州ではギリシャに端を発するソブリンリスクが、各国に深刻なダメージを与え、国の将来に不安を投げかけています。
また今年に入ってからも、8月に英国で暴動がありましたし、10月には米国で「ウォール街を占拠せよ」とのデモが続いています。両者に共通するのは、経済格差の下層に固定されている人たちが、勤勉によって格差社会から抜け出すのではなく、暴力やデモという手段で格差社会そのものを破壊しようとしている、ということができるかと思います。
この書籍も、英国暴動を取り上げた「はてなダイアリー」の記事(下参照)へのコメントで紹介されていたものです。
イギリス暴動の裏にある鬱屈と絶望について

この書籍は2004年に書かれたものです。一読してわかるのですが、「ニート」という言葉が日本語として定着する前で、本編ではすべて「フリーター」で統一されています。フリーターはアルバイトとはいえ仕事に就いていたわけで、それがニートに置き換わったわけですから、本書出版からの7年で、仕事さえも諦めた、いいかえれば、いつかは自分のしたい仕事ができるという希望さえ失った若者たちが無視できないほど多くなったということができるでしょう。
現在の日本社会は、普通に働いて普通に生活することすら困難になってきている、と感じます。いかなる立場にいようとも、数十年の単位で安定した生活を送れる保証はどこにもありませんし、普通に働いているだけだと生活水準は下がりこそすれ上がることはないと断じてもよいでしょう。
そのような社会では、自分の生きている意味さえ見いだすのが困難になるかと思われます。かつては、自分自身や家族の生活、あるいは自分自身が向上することを望み、あるいは子供の成長や次の世代に希望を託すことがアイデンティティとなりましたが、今やそういった希望は、多くの人から奪われてしまったのではないかと思います。私は正社員としてある程度安定的な生活を送れていますが、将来に関しては悲観的にしかとらえられませんし、希望を持つことに努力が必要だというのが現状です。そう感じるのは自分の性格的な問題ではなく、多くの人が同じように感じているのではないでしょうか。

低成長社会の中で、社会に希望を与える力は、政府にはありません。先に低成長に陥った日本では政府の対策はことごとく成果を上げられませんでしたし、米国も欧州の大国も有効な対策を打ち出せずにいます。すぐには調べきれませんでしたが、北欧の高福祉国家は、この時代にあってもうまくいっているのでしょうか。
希望格差社会どころか、全ての人々が平等に希望を失いつつある社会で、個人レベルで希望を取り戻そうという動きが始まってきています。これまではお金や資産という形で将来の希望をイメージしていたかと思いますが、金銭的な部分から離れたところでの希望を求め、その最初として、非金銭的な希望のイメージを模索している段階ではないでしょうか。

「自由の国」(そこには当然成功者となり、他社と格差を作る自由も含まれる)米国で、格差是正を求めるデモが起こる時代です。私たちは資本主義の時代の終焉を目にしているのかもしれません。その次の時代は、「非金銭的な希望」のイメージが多くの人々の間で共有されたとき、そのイメージを示す単語で「○○主義時代」と呼ばれるように思います。

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2011年10月10日 (月)

[読書メモ]桑原晃弥『スティーブ・ジョブズだったら、こうするね!』

スティーブ・ジョブズだったら、こうするね! ~カリスマリーダーの問題解決力~(桑原晃弥)

2011年10月5日朝、アップル創業者で前CEOのスティーブ・ジョブズ氏が亡くなったという報道を見ました。それ以前にこの本を買っていたのですが、次にこれを読もうと通勤のカバンに入れていたのがその前の日で、ジョブズ氏の死去が報道されたまさにその日に、この本を読むことになりました。たまたまではありますが、ミーハーだと言われそうな状況ですね。
ジョブズ氏の恩恵にはそれほどあずかっていないと思う自分ですが、それでもmac mini(Windows7を入れていますが)とiPod classicを使っており、アップル製品とは無縁ではいられません。アップル製品を使わないと強く意識していない限り、誰しも何らかの形でアップル製品を利用することはあるのではないかと思いますし、それだけ私たちの生活に大きな影響を与えた人物であったということができるでしょう。

本書から読み取れる範囲でも、筆者の解説というフィルターを除き、ジョブズ氏の行動のみを取り上げていくと、彼の経営手法は言葉はよくないかもしれませんが強引で、ときには無茶苦茶だといわざるを得ない部分があります。それでも多くのアップル従業員が彼についてきたのは、ジョブズ氏が自分の理想を細部に至るまで実現し、それが市場に熱狂的に受け入れられるという実績があったからだといえるでしょう。
常識をひっくり返すアイデアかもしれませんが、実現すれば自分たちもヒーローになれるし、ジョブズのためにも実現させたくなるし、そのためには1日24時間のどれだけを実現のために費やしても惜しくはない、そう思わせるカリスマがあったわけですが、それもジョブズ氏の理想へのこだわりと、成功体験から出てきたものではないかと思います。

最も凄いと思ったのは、ジョブズ氏が過去を徹底的に断ち切る決断力があるということ。エピソードには事欠かず、初期にはApple IIを捨ててMacintoshを開発したこと、アップルに復帰してからはラインアップが混乱していたMacintoshを捨てて4製品に絞り込んだことなどがあげられています。そのほかにも、Mac OS Xで9以前との互換性をかなりの部分で切り捨てていますし、iMacも初代と最新世代で名前以外は全然違うものになっています。
これを今後のアップルに当てはめれば、iPhoneやiPad、あるいはiTunesといった主力の製品やサービスを然るべき時期に切り捨て、次の新しい製品やサービスを展開することになるかと思います。ジョブズ後のアップルに、これができるかどうか、真価が問われているといえるのではないでしょうか。

もしアップルに製品ラインアップを切り替える決断力がなく、今後ずるずると現行製品のバージョンアップを繰り返すのみとなるのであれば、ITサービスの恩恵を受けている私たちの生活にも影響があるでしょう。言葉は過ぎるかもしれませんが、ITサービスが小さな改善の繰り返しにとどまってしまい、正常進化だけで突然変異が生まれなくなる。それはサービスとしての飽和点であり、緩慢な死に至る道のりではないかと思うのです。
自分もIT業界に身を置いているわけで、こういった状況を指をくわえて見ているわけではないのですが、ジョブズ氏と比較されてしまうと自分の圧倒的な無力感を感じざるをえないですね。

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2011年10月 9日 (日)

[読書メモ]木村尚義『ずるい考え方』

ずるい考え方 ゼロから始めるラテラルシンキング入門(木村尚義)

「一方ロシアは鉛筆を使った」というアメリカンジョークが、ラテラルシンキングの特徴を言い表していると言います。無重力である宇宙空間ではボールペンが使えない(重力でインクを押し出しているため)という問題に対し、米国のNASAは無重力空間でも使えるペンを開発したのに対し、ロシアは宇宙空間で鉛筆を用いることにした、という発想の転換ですね。
実際には、宇宙空間でも利用できるペンは、米国の民間企業が独自に開発しており、NASAもロシア宇宙局もそれを採用していたようですが。

さて、ラテラルシンキング。「水平思考」と訳されることが多いのですが、lateralの辞書的な意味は「側面、横」といった意味です。ゴルフでラテラル・ウォーターハザードというルールがあるのですが、通常のウォーターハザードにボールが入ったときは、その後ろから打ち直さないといけないのに対し、ラテラル・ウォーターハザードの場合は入った場所の横から打てる、という救済措置があるようです(ゴルフには詳しくないので、間違っていたらすみません)。アメリカンフットボールでもラテラルパスという表現がありますし、これは真横へのパスですね。
対になる「縦」がロンジチューディナル(longitudinal)なのですが、緯度(latitude)・経度(longitude)の連想で覚えることもできそうです。

そういうわけで、深掘りしていくロジカルシンキングに対して、発想を広げていくラテラルシンキング。あるいは正面から攻めるロジカルシンキングに対して、側面攻撃のラテラルシンキング、といった考え方ができるかと思います。
自分はラテラルシンキングはどちらかというと苦手で、かといってロジカルに掘り下げるのも得意ではなくて、正解が示されたり、少なくとも正解があるとわかっていればその通りにできるのですが(何も考えていないとも言う)、自分で考えて正解を見つけるのは不安が先に出てしまいます。本書の事例も、答えを知っているか、答えを探してしまうかしてしまい、本書をきちんと読めたとはいえないかもしれません。
ですが、問題を正面から取り組もうとして1つの方法にこだわってしまい、別のやり方があるのではないかと考えられない部分があったので、側面攻撃ともいえるラテラルシンキングを、阿漕なやり方だとして忌避するのではなく、選択肢の1つとして取り入れることは大事だと感じるようになりました。

ただこの本、細かい部分で編集が甘い。判官贔屓を「はんがんびいき」とわざわざルビを振ったり(誤読が定着してしまったか?)、メイドカフェの店員が「いらっしゃいませ、ご主人様」だったり(主人とメイドの関係が「いらっしゃいませ」になるわけがない)。細かいと言えば細かいのですが、どうしても気になってしまう部分なので。というより、こういうところが気になるのが、まだまだ自分はロジカルシンキングに固執しているからなのかもしれませんが。

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2011年10月 8日 (土)

[読書メモ]うだひろえ『誰も教えてくれないお金の話』

誰も教えてくれないお金の話(うだひろえ、泉正人)

お金の話、それも自分の身近なマネープランの話は、避けて通っている人が多いのではないか、という印象を受けます。考えるのが難しいとか面倒だとか、将来が不安定で気が滅入るとか、お金にがつがつしていると思われるのが嫌だとか、いろいろ理由はありそうです。
実際自分もマネープランは苦手で、支出を抑えるより、仕事のやり方で収入を上げるほうを考えてしまいます(ブログに取り上げた書籍を見ても、働き方の本が多いはず)。なので他人のことはいえないのですが、自分はたぶん、マネープランを考えるのが面倒なんだろうと思います。
昔は、こういったことを考えなくても普通に生活していけたし、マネープランを前面に出す人は株式投資などに力を入れており、お金に執着しているという印象があったかと思います。ですが現在は、ただ働いているだけでは普通に生活できないようになってきていると感じます。どうしてもマネープランを意識せざるを得なくなりますし、決して楽な時代ではないと感じますが、本題から離れますのでおいておきます。

収入のうち、「生活費の残りを貯蓄する」なのか「貯蓄して残りを生活費にあてる」なのかで、考え方もずいぶん変わってきます。私の家の場合は、銀行の定額積立預金で毎月強制的に貯蓄していますし(コンビニや時間外でお金を下ろすときに、手数料がかからない特典を買っているようなものですが)、妻も月々の生活費のうち、いくらかを別口で積み立てているようです。そういう意味では後者の考え方ができているのかもしれません。
賃貸住まいでローンを組んでいないので、固定金利と変動金利のどちらがいいか意識したことはありませんし、直接お金を扱う投資もほとんど経験がありません(最初に勤めた会社の社員持株会だけ)。リスクの少ない生計を立てられているとは思いますが、家計簿をつけていても毎月赤字で、どこをどうすればいいのだろうかと頭を抱えてしまいます。

監修に名前が出ていますが、『年収のあがらないあなたへ』などを書かれた泉正人さんが本編にも登場します。「消費」「投資」「浪費」の話が泉さんの言葉として出てきますが、この考え方はいくつかの書籍で紹介されていますし、改めて考えてみたいと思いました。
私は家計簿に「自己投資」の費目をもうけて、自分の知識にする書籍代や新聞代、資格試験の諸々の費用などを「自己投資」としていますが、投資になっているのかどうか。泉さんの言葉を借りれば、投資とは「払ったお金以上の価値を生むもの」なのですが、本を読んだり資格試験の勉強をしたりして知識は貯められても、その知識を生かす行動が取れておらず、このままいくと単なる浪費に終わってしまいます。株式やFXなど、直接お金を扱う投資とは違って結果が見えにくいのですが、投資と言うからには何らかのリターンを求めていかないといけませんね。それが今の仕事で成果を出すことなのか、新しい企画を形にすることなのか、わかりませんが。

さいごに、この本、著者がイラストレーターということもあり、全編がマンガで書かれています。それだけに非常に読みやすいのですが、通勤電車の中でスーツにネクタイ姿で読むのには、やっぱり抵抗がありました(笑)。まあ、週刊のマンガ雑誌を電車の中で読むよりは、ずっとましだと思いますが。この本は少なくとも感想ブログという形になりましたし、「浪費」ではないでしょうから。

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2011年10月 2日 (日)

[読書メモ]亀田潤一郎『稼ぐ人はなぜ、長財布を使うのか?』

稼ぐ人はなぜ、長財布を使うのか?(亀田潤一郎)

この本、買うかどうかかなり悩みました。ネットなどで話題になっていましたし、この本が初出かどうかわかりませんが「財布の値段×200=その人の年収」の法則は、広く話題になり賛否両論あったことで、読む価値があるかどうか、世間の評価を見ている状態が続いていました。
で、どうなったかというと、1度購入してあとで読もうと寝かせていたのですが、「買うのに迷っている」という意識だけが残っており、買ったのを忘れて2度買ってしまいました(笑)。こんな形で売り上げに2倍貢献したのは、さすがに初めてです。

さてこの本、記載されているうちの表面的な部分にとらわれてしまうと、否定的な感覚から離れられないかと思います。たとえば上にもあげた、年収200倍の法則。統計的な根拠があるわけではなく、筆者の感覚に過ぎないのですが、表面的にそこをなぞって批判するようでは、作者の言いたいことは全く理解できていないのだと言わざるを得ないでしょう。
この書籍を価値あるものとするためには、表面的な事例は書籍を手に取らせるためのあおり文句でしかなく、些末なこととして捨ててしまうくらいの読み方でないといけないように思いました。では何を読み取ればいいのかというと、つまりこの書籍の本質ということになるのですが、具体的には次のようにいえるのではないでしょうか。

お金に愛着を持ちなさい。
自分の手元に入るお金、出ていくお金が、どのようにして出入りするのかを意識できるようになります。そうすることで自分の正当な行動の正当な対価として収入を得ていることを知りますし、自分が何を目的としてお金を支出しているのか、そしてその金額が妥当なものか、考えることができるようになります。
年収200倍の法則は、言い換えれば年収の200分の1という、決して少なくはない金額(年収が600万円なら、3万円)を財布代に充てるという意味です。それだけ、財布の中のお金にも愛着を持ってほしいという筆者のメッセージでしょう。
他の事例にしても、私自身実践していること、できていないこと、必要性を感じないこともありますが、全てはお金への愛着、意識の向上につながっています。

タイトルは「稼ぐ人」とついていますが、本書の内容を実践しても稼ぐ人になれるかどうかはわかりません。
ですが、お金に「振り回される」ことはなくなるはずです。収入の多寡で生活スタイルが変わるような生き方は、浪費の部分が多くを占めていることになり、いくら収入があってもお金に振り回されているということになるでしょう。本書の考え方は、そういったお金に振り回される生活から一線を引く、お金に対する考え方を転換できるものであるはずです。

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