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2012年7月

2012年7月30日 (月)

[読書メモ]林寧彦『歴史を動かしたプレゼン』

20120730_歴史を動かしたプレゼン(林寧彦)

コロンブス、豊臣秀吉、大黒屋光太夫、クーベルタン男爵の4人を取り上げ、彼らが成し遂げた歴史的偉業においてどのような「プレゼン」をしていたか、という切り口で分析しています。

豊臣秀吉の章では、清洲会議での柴田勝家との議論を取り上げ、本能寺の変で討たれた織田信長の後継者として三男の信孝を擁する勝家と、信長の嫡孫にあたる三法師(のちの秀信)を支持する秀吉の間での主張の違いをまとめています。
秀吉は「織田家の後継者としての血筋」を前面に出して議論を自分の土俵にひきずりこみ、事前の根回しもされていたといわれています。「主君としてもっとも能力が高い人物」を選ぼうとしていた勝家は、正面突破を図ろうとして肩すかしを食らい、思うような議論をできなかったとといったところでしょうか。
プレゼンでも議論でもその先の実際の商活動でも、自分の土俵で勝負する、というのは大きな意味を持ちます。フェアでないと考えるかもしれませんが、自分に有利なように状況を設定することも、技術のひとつと言えるかと思います。清洲会議においては、秀吉が一枚上手だったということができるでしょう。

これを書いている現在(2012年7月)、ロンドン五輪が開催されていますが、近代五輪を提唱したクーベルタン男爵のプレゼンも取り上げられています。
19世紀末は欧州にオリエントブームが来ていたとはいえ、さすがに荒唐無稽な提案と思われたようで、最初のプレゼンは失敗に終わっています。しかしそこからの再チャレンジでは、場を作り雰囲気を作って、まさしく自分の土俵に周囲を巻き込んで実現にこぎ着けました。
その理念は、世界中の選手が参加する国際スポーツ大会。五輪憲章では「より速く、より高く、より強く」とスポーツの側面だけが、ロゴである五輪マークには世界を示す5つの円がつながっているイメージだけが描かれ、その他のものは削ぎ落とされていることにも言及されています。プレゼンでどこまで提案されたかはわかりませんが、ごてごてといろいろな要素を足して総花的にするのではなく、コアを示すためにそれ以外のものは思い切って切り捨てるのも、プレゼン技術として必要なことです。

プレゼンというのは自分が社会人になってから、俄然注目された領域だと思います(1996年頃から。主観ですので、違っていたらすみません)。ですが実際には多くの人が、それがプレゼン技術だという認識はなく良質のプレゼンを編み出していたといえます。本書に取り上げられていない事例も探せばいくつでも見つかりそうですし、逆にプレゼンで周囲を巻き込めていたなら歴史が違っていただろう、ということもあったでしょう。

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2012年7月21日 (土)

[読書メモ]楠木建『ストーリーとしての競争戦略』

20120721__2 ストーリーとしての競争戦略 ― 優れた戦略の条件(楠木建)

企業がその存続のために求められているものとして、第一に利潤を追求することがあげられます。そのためには自分たちの製品やサービスを売らなければならず、競合製品との差別化を図ることになりますが、そこで出てくるのが「戦略」ということになります。
著者は経営学者であり、経営の現場に生きる人ではありませんが、学者としての経営理論が実地で生きるものではないと述べています。それはある企業の経営戦略が成功していても、同じ方法を理論化してどこでも真似できるものにはできない、ということを「知っている」からでしょう。
なぜ真似できないか、という理由として、本書タイトルともなっている「ストーリーとして」競争戦略ができているから、ということがあげられます。逆の視点から見ると、理論化された競争戦略はそのエッセンスだけを抜き出した静止画のようなもので、全ての戦略が1つのゴールに向けて動き出すための、つながりや時間軸を欠いたものとなってしまうからです。

競争戦略として、マブチモーター、アマゾン、ガリバーインターナショナルなどの成功事例と、いくつかの失敗事例が取り上げられています。成功事例に共通しているのは、戦略のコアが明確だったことと、ある部分だけ取り上げてみると、あえて不利になることをやっているように見える(実際には戦略のコアを実現するために必要なことをしているだけ)ため、他者が真似しなかったことであると述べられています。
一例を挙げると、マブチモーターの場合、戦略のコアとなるのはコストの削減であり、そのためにモーターの形状を製品似合わせてカスタマイズするのではなく、標準化した形状のモーターを納入して製品をそれに合わせさせていました。このことは業界の非常識であり、誰もが不可能だと考えていたのですが、品質とコストを両立させたことで受け入れられるようになってきました。その結果、多くの製品に同じモーターを使うため、モーター製造の稼働率が平準化される、在庫を管理しやすくなるなどのメリットが生じました。

このような「筋のいい」戦略を作るのは、著者いわくセンスの問題ですし、誰もが一朝一夕に習得できるものではないのだろうと思います。多くの事例を見て、自分で失敗を繰り返して、次第にセンスが磨かれていくものでしょう。また、実際にはたまたま戦略が当たっただけで、後付けでストーリーを作ったというものもあるのかもしれません。
それでもなお、成功した事例から、多くのことを学ぶ必要があります。美術品の真贋を見分けたり、審美眼を養ったりするのには、本物に多く触れる必要があるのと同様、多くの事例をケーススタディとして学ぶことで、どういう戦略がうまくいかないか、は見えてくるでしょう。必ず成功する方法はないとしても、成功の確率を高める方法として、本書を入り口に企業戦略を考えていくのは有効だと感じました。

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2012年7月16日 (月)

[読書メモ]ウィリアム・ジョーダン『シンプルに考えれば、強くなれる。』

20120716_シンプルに考えれば、強くなれる。(ウィリアム・ジョーダン)

原書は1898年に書かれた「The Kingship of Self-Control」で、世界三大自己啓発書の1つにあげられているとのことです。
日本では日清・日露戦争の時代、ヨーロッパではシャーロック・ホームズが活躍していた時代(最初に思いついたのがこれでした)ですが、意外と内容に古さはありません。自己啓発の内容が、言い換えれば人間というものが、この100年余りの間、思っているほど進歩してこなかったということでしょうか。そこまで厳しく言わないまでも、人の悩みというものは古今東西を通して変わらないものだ、ということはいえるかと思います。
自分も妻に「同じような本ばかり読んで……」と小言を言われたりしますが、自分の成長が実感できず、よりよい自己啓発書を探し求めてしまう、という状況に陥っているのかもしれません。

分量も少なく、内容自体もシンプルです。考え方もシンプルで、自分の弱い部分を捨て、強いところに特化して生きること。徳や愛をもち、相手に与えることをいとわないこと。常にベストをつくし、過去を悔やんだり将来を不安がったりする必要はないこと、そういったことが書かれています。
ところが、いざ実践しようとすると、周囲の目や空気や、目先の収入や安定した立場の存在が、障害となるわけです。そういった障害の乗り越え方は、どんな自己啓発書にも出てきませんね。自分のやりたいことをする、本当の自分がいるはずの場所に行くために、今の仕事や収入を捨てるリスクが発生するわけで、私はそのリスクをなくす方法が知りたいのに、どの本にも書かれていないか、書かれていてもそれ以上のリスクが発生してしまっています。
多くの自己啓発書が100年以上にわたって出版され、それでも自己啓発書を求める人が後を絶たないのは、やりたいことをするための確実な方法がないか、少なくとも示されていないということではないでしょうか。

とはいえ、リスクのないところで、自分の考え方を変えていくことはできます。人生を前向きにとらえることや、他人の悪いところではなくよいところを見つけることなどは、今の生活を変えなくとも実践できることでしょう。
小さな考え方の変化が、行動の変化を生みますし、そういった行動の変化は意外と周囲の人に見られています(自分も、勤め先の評価面談で感じました)。周囲の評価を気にしすぎることはないのですが、自分のしたいことが何であれ、それを実現するのに他者の協力は常に必要ですから、行動の変化が周囲の評価につながり、自己実現のステップになることは間違いありません。

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2012年7月 8日 (日)

[読書メモ]田中和彦『38歳から絶対やっておくべきこと』

38歳から絶対やっておくべきこと(田中和彦)

20120708_38 今年(2012年)で39歳になりました。1年遅れではありますが、こういう、今何をすべきか的な書籍は自分の生き方を見直す上で役に立ちます。
自分は著者のような華々しいキャリアは持っていませんが、自分にしかない経験を積んできたわけですし、それを生かすも殺すもこれからの自分次第、ということになるでしょう。
ただ、仕事で大きなミスをしてしまった直後でしたので、最初の「いつでも辞表を出せる状態にして仕事に臨む」というのには苦笑せざるを得ませんでした。本書で言うのは、「何でもやれる自由を持った中で今の仕事を選び、今の仕事が自由を得られないのであればいつでも離れるべきだ」という意味に取ったのですが、自分が退職届を携えると「ミスをしたので責任を取って辞めます」になってしまうので。行動は同じでも、意味が全く逆です(笑)。

大学生との対話の中で、「自由」という言葉の意味が違うのかもしれない、と話しているのが印象的でした。確かに、学生の頃までは宿題を筆頭に様々な義務が与えられ、その義務が免除されるという意味での自由ですが、社会人になると行動は義務ではなく選択肢となり、どの選択肢を選ぶかの自由となっています。その選択肢の数を増やすことが、私たちの生活を豊かにしていくことにつながります。
といっても、社畜になるな、起業せよ、といった意味ではなく(本書著者も大企業で長年働いていました)、企業勤めであってもその企業に依存した生き方ではなく、ほかの選択肢もとれるようにしておくべきだ、ということです。やり方はいくらでもあるはずですが、それにブレーキをかけているのは、変化を嫌い、将来の不安定の責任を回避する、自分自身です。

もちろん、金銭的な問題はあります。今の仕事を投げ捨てて、新たなフィールドへ挑戦しようとしても、安定的な収入を得られるかどうか不安で逡巡してしまう、というのは自分もそうですし。
ですがこれ、批判覚悟でいうと、 (金銭的にも思想的にも)貧しい人の思考回路なんですよね。収入が少ないから少ないなりの考え方しかしないし、結果や成果もそれなりのものにしかなりません。
本書にもありましたが、先に現実が変わることはないから、考え方を変えていけば行動も変わり、結果もついてきて、考え方次第の収入になる。そして金銭的にも経験的にも蓄えができるので、新たなキャリアを志すことができるようになる。お金持ちにお金が集まっていく構図を指をくわえてみていたり、批判的にとらえる意見も少なくないのですが、収入のある人はそれだけの思考と行動を伴っているので、より収入が上がりやすい、と考えればどうでしょうか。

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