諸象戯図式

2009年2月 9日 (月)

もうすぐゼミ合宿

久しぶりに投稿。今年初めての記事ですが、もはや「あけましておめでとう」じゃないですし。

2月21~22日に、大学院のゼミ合宿があります。いま、その資料が刷り上がったところ。

去年秋の1回目の合宿で、『実隆公記』を説明してきたので、今回は残りの史料となる『言継卿記』『言経卿記』と、江戸時代・元禄年間の棋書『諸象戯図式』。諸象戯図式は版本の形でしか残っていないので、翻刻 (行書・草書の版本を現在の文字に置き換える) から作業を行って、元禄時代の将棋がどのようなルールであったのか、古将棋についてどこまでわかっていたのか、ある程度わかるかもしれません。

今回の修論のテーマとは離れてしまうのですが、『諸象戯図式』など江戸時代の棋書を丹念に読み解けば、古将棋のルールが正確に再現できる可能性はあります。

ゼミの資料は、1部17ページという大部になってしまいました。実際に使うのはそのうちの7ページだけですが、参考資料的に必要なので、とりあえず全部印刷。それをゼミに参加する16人分印刷するので、単純にかけ算しても300枚近くの紙を使うことになってしまいました。エコじゃないな (笑) 。

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2008年6月12日 (木)

諸象戯図式から芋づる式に

修論のテーマのひとつに「諸象戯図式」があるのですが、ここに出てくる人物の名前はどれくらいあるかご存じでしょうか。

後奈良天皇が日野晴光と伊勢貞孝に命じ、42枚の将棋から醉象が除かれ、40枚になったと書かれているのがこの書籍です。そのほか、前文には後奈良天皇の廷臣として前述の2人のほか、高倉永家と蜷川親俊の名前があり、2巻以降の詰将棋の作者として伊藤宗看、版元の西澤貞陣 (太兵衛) の名前が見られます。

後奈良天皇には「天聴集」、蜷川親俊には「蜷川親俊日記」が残っており、それぞれ解説書が出版されています。といっても、「天聴集」については戦時中の1942年、国民精神文化研究所というところが出したものであり、気合いが入りすぎかも。「蜷川親俊日記」については2005年に出版された「落日の室町幕府―蜷川親俊日記を読む」が解説書に当たり、これは書店や図書館で容易に入手できそうです。

その他、CiNiiで調べたところ、伊勢貞孝についての論文が1件だけ見つかりました。「白山史学」という学会誌にあり、CiNiiよると岡山県立図書館にもあるようなので、月末の岡山行きの際に寄ってみようと計画を立て、朝一の特急で行くことにしないと、と思っていたわけですが。

念のため、地元の徳島県立図書館で検索をかけたところ……ありました (CiNiiには公営の図書館はあまりは行っていないのです) 。結局、朝一のプランはなくなりました (笑) 。

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