"将棋/遊戯史 - 日本将棋の起源"

2011年4月14日 (木)

[将棋]里見女流三冠、奨励会1級を受験

将棋の「歴史」について語るはずのブログが、だんだんそれてきているような気もしますが、気にしません(笑)。
里見さん、どこまで行けるのか、頑張ってほしいですね。

里見香奈女流名人・女流王将・倉敷藤花が奨励会1級編入試験を受験 | お知らせ|お知らせ・イベント情報:日本将棋連盟

いくつかのニュースサイトでも取り上げられていますが、報知新聞の記事が最も詳しく出ていました。
ちなみに報知新聞は女流名人位戦の主催者でもあります。
里見名人、女性初のプロ棋士目指し「奨励会」編入試験:社会:スポーツ報知

連盟の発表と報道を総合すると、奨励会への挑戦は里見さんから申し出たことがわかります。連盟側は特例としての三段リーグ、あるいはフリークラス編入を提案したものの、里見さんの希望で1級の受験となり、連盟が対局者の選定などでイベント要素を取り入れた形になっています。
里見さん個人の問題にとどまらず、将棋界、とくに女流棋界の将来を占う意味でも、大きなマイルストーンとなる挑戦でしょう。

まず、女流トップクラスの実力が奨励会のどのあたりなのか、ということが気になる人は私だけではないと思います。男性棋戦でも女流枠が設けられ、里見さんも多くの対局に臨んでいますが、それらの対局から男性プロは里見さんを奨励会の二段程度の実力だと話していたと思います(橋本七段が、「将棋世界」の誌上対局(2010年10月号)で里見さんに敗れた後のコメントなど)。その話がリップサービスなのか、これから判明しますね。

ふたつめ、女流棋士と奨励会員との掛け持ちが可能になるように、規約を改定するとの話。2009年に香川女流1級が奨励会(5級)を受験したときには規約改定の話は出ませんでしたが、女流棋界としても里見さんを失うのは痛いのでしょう。女流も奨励会も、対局日程はそれほど詰まっていませんので、十分に掛け持ちは可能のはず。里見さんが規約を変えるきっかけになりましたが、もっと早く改訂に動いてもよかったかもしれません。
(香川さん、4級で退会しています。女流棋士に戻るという話も聞きませんし、このまま将棋から離れてしまうのでしょうか。)

最後に、試験対局の選出について。女性の奨励会員だけ3人選ぶ人選については賛否両論あるかと思います。確かにイベントに偏りすぎだし、棋力の面でも手合い違いではないかとも思うわけです。
いくつか物差しをあげるとすれば、対局相手である加藤さんが奨励会に入る前、小学生のときに女流プロに勝ったことがあるとか、女流棋士で奨励会1~2級に在籍していた千葉さん、岩根さん、甲斐さんとの比較とか、先に挙げた香川さんの事例も物差しになり得るかと思います。

ただ、1つ言えるのは、里見さんが奨励会に入ってからが本当の勝負だということです。奨励会に入ることが目的ではなく、正棋士として奨励会を抜けることが目的なのですから。
1級受験ですから、21歳までに初段、26歳までに四段という2つの年齢制限をクリアしなければなりませんが、今の気持ちを忘れず挑戦を続けてほしいと思いました。

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2011年3月30日 (水)

[将棋]天童人間将棋、今年は中止

先日の大震災の影響ですが、毎年山形県天童市で開催されている「人間将棋」が中止になりました。

人間将棋(天童CCIの観光情報)

人間将棋は「天童桜まつり」の主要イベントの一つで、毎年4月下旬に天童市の舞鶴山で開催されています。
将棋を戦国時代の合戦に見立て、舞鶴山に据えられている巨大な将棋盤を、甲冑で身を包んだ40人の武士が、将棋の「駒」となって戦います。
それぞれの陣地には櫓があり、櫓から対局者が武将となって駒に指示を出し、実際の将棋のルールに基づいて対局を行います。対局者はプロの棋士や女流棋士がつとめるので、レベルの高い対局を間近に見ることができます。

過去2回、直に人間将棋を見に行きました。1度は卒業研究で将棋の歴史について調べていたとき、天童駅にある将棋資料館を訪れるときに、もう1度は妻が大ファンの橋本崇載七段が対局者となったときです(もちろん、妻を連れて行きました)。
解説が将棋を知らない人にもわかるように説明してくれているので、非常に丁寧で基本的なことも話してくれていたのを覚えています。

天童の被災状況は確認できていませんが、福島や仙台に近いことや、山形新幹線が今日まで不通状態だったこともあり、震災の影響は小さくはないでしょう。また、多数の観光客が来場するイベントを開催する人的な余裕もないでしょうから、今年開催できないのはやむを得ないだろうと思います(もちろん「自粛」という意味合いもあるでしょうが、それを脇に置いたとしても、です)。
いまはとにかく日常の生活を取り戻すことに専念してほしい。そしてかなりの程度で日常が取り戻されたなら、満開の桜の下でなくとも、人間将棋を開催してもらえたらと思います。
自分には応援することしかできませんが、東北に元気を与える意味でも、忘れないで応援したいですね。

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2011年3月12日 (土)

[将棋]公益法人化と新棋戦

昨日(2011年3月11日)の地震にて被害に遭われた方が多数おられるかと思います。
私が自分一人でできることは限られてしまいます。国家や政府は、自分には遠すぎてなくてもよいものと思ってしまいますが、被災された彼らにこそ必要なものですので、適切な対応を取っていただけること、心よりお願いいたします。

今月、将棋界にはうれしいニュースが2つありました。

■日本将棋連盟が公益社団法人へ(3月4日)
http://www.shogi.or.jp/topics/2011/03/post-380.html

■リコーと日本将棋連盟が、女流将棋最高峰タイトル戦「リコー杯女流王座戦」を設立(3月10日)
http://www.shogi.or.jp/topics/2011/03/post-381.html

公益法人化は、制度変更が発表されて以降の将棋連盟の悲願でもあり、給与と見なされる手当の廃止(廃止相当分は対局料で充当)、将棋普及事業のいっそうの注力、一部の女流棋士を正会員とするなど、公益法人認定の妨げとなっていた慣例を次々と変えていっていました。その成果が今回の認定につながったといえます。
とはいえ、認定されたことがゴールではなく、これからの活動に期待していきたいと思います。将棋の歴史を研究していた立場からも、将棋は日本の伝統文化の1つであり、伝統は継承してもらいたいと考えています。文化の形は時代によって変えつつも、本質を変えないことが重要だといえるでしょう。

女流新棋戦、6つめのタイトル戦になります。スポンサーが増えること、とくに新聞社に偏っていたのが多くの業種から応援していただけることは、一将棋ファンとしても非常にうれしく思います。
女流棋界は、里見女流三冠、甲斐女流二冠を筆頭に、新しい力が伸びてきています。女流棋士を目指す女性たちが減っており、女流棋士への登竜門である女流育成会は活動を停止してしまいましたが、今回のニュースをきっかけに女性への将棋普及、そして新しい女流棋士の誕生につながればと思います。

さて、冒頭にも書きましたが、昨日宮城県を中心に地震による大きな被害がありました。私は東京で勤務していますが、地震の影響で首都圏の交通が麻痺し、帰宅が午前4時になってしまいましたが、その程度で済んだのだというのが実感です。
1923年の関東大震災では、若手棋士だった木村義雄14世名人が新聞棋戦を復活させ、被災者の心の助けとなったと、『近代将棋』誌の連載にありました。
1995年の阪神・淡路大震災は、谷川浩司王将が羽生六冠との王将戦を転戦中の災害でした。谷川王将はその王将戦で羽生の七冠を阻止し、神戸に希望を与えました(羽生の七冠獲得はその翌年。六冠すべてを防衛して王将位も奪取)。
今回の震災も、将棋界としてできることがあるはず。それは公益法人としての責務でもあります。

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2011年1月 2日 (日)

[将棋]出雲から出土の将棋盤について想う

ちょっと前の話ですが、将棋の歴史研究的に興味深い出土品が、昨年12月に出雲から発掘されています。

出雲市高浜Ⅰ遺跡・山持遺跡から出土した遺物について(島根県埋蔵文化財調査センター)
国内最古の将棋盤出土 出雲市高浜I遺跡(日本海新聞)
島根県出雲市高岡町 高浜 I 遺跡から最古の将棋盤が出土(日本将棋連盟)

米長会長、将棋文化は仏教伝来までさかのぼるって、さすがに歴史的には無理が多そう……。木村義徳九段の説に近いのかな。

出土場所は、里見女流三冠の実家に近いらしい。『ヒカルの碁』のように、この将棋盤に宿っていた棋士の霊が、里見さんについた、なんていう冗談もあったようですが。

閑話休題、永正3年(1506)の記載のあった木管と同時に出土しており、おそらくは同時期。私が修論研究で扱っていた『実隆公記』の時代にも重なり、やはり戦国時代には広く将棋が指されていたことを裏付ける出土品となりそうです。

記事にも指摘されていますが、鎌倉時代の『鳥獣人物戯画』にある将棋の絵は、紙の版を用いていたとされます。紙というより、地面に直接線を引いて版の代わりにしていたようにも見えますが、そこから囲碁と同じように脚付きの将棋盤ができるまでに将棋の格が上がったのか、庶民に広まったときに盤が省略されていたのか、という部分も興味ありますね。

個人的には、出土品を見て、2つの疑問があります。

(1) 縦横どちらの向きで使われていたのか。
島根県の出土資料では出土した破片2つを前後に、日本海新聞の記事の写真では左右に置いています。
これは将棋盤の向きとも関係あるのですが、マス目がほぼ正方形(現在は縦長)なのでよくわからないのでしょうか。
自分の予想としては、木目が縦になる方向、かつ、出土した破片には取っ手と思われる部分がついているので、これが取っ手とするなら横になる方向、つまり2つの破片が左右になる形で使われていたのではないかと考えます。

(2) まな板に転用されていたとあるが……。
表面に刃物の跡がついているので、まな板としても使われていたであろうことは間違いなさそうですが、将棋盤がまな板に転用されたのか、逆にまな板が将棋盤に転用されたのか、という部分は解決していなさそうです。
古くなった看板や表札がまな板に転用されたという事例があるので、今回の将棋盤もそうだという連想だと思いますが、将棋盤は遊具ですし、駒は木簡や桶などを転用して作っているわけですから、逆も考えていいはずです。

疑問だけ呈して、自分で研究する時間がとれないのですが、何か新しい事実が出て、それで将棋の歴史解明につながればうれしいですね。

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