酔象 (酔像)

2006年12月 7日 (木)

興福寺習書木簡の「酔像」

先週の土日、遊戯史学会の講演会に参加して、論文も渡してきたのですが、ちゃんと査読していただけるのだそうです。手直しが必要かもしれませんが、来年の学会誌に掲載されればいいなと思っております。

最古の将棋駒とされる興福寺の出土駒ですが、同時に習書木簡が出土しています。文字が重なってほとんどは読めないのですが、「歩兵」「金将」のほか、「酔像」と読み取れる部分があります。
興福寺駒の出土時期と二中歴の時期が重なるので、これをもって「二中歴の将棋には酔象があった」と見なす研究者も少なくありませんが、そこまで断定するのは危険なのではないか、と感じています。それが論文の上では「乱暴な考え方」という表現になってしまい、適切さを欠く表現になったと反省しています。

酔象が飛車角より先行していたとしても、酔象の動きや初期位置、成り駒はどうなるか (中将棋では太子だが、そのような発想がすでにあったのか) など、疑問点も多いです。玉将の上に酔象を配置した38枚制の将棋があったかどうかも、はなはだ疑問ですし。

橿原考古学研究所の清水康二氏は、興福寺の「酔像」は「瑞像」に通じ、瑞像とは「釈迦瑞像」のことであるとしています。また、玉将の「玉」は、まわりを金・銀・桂・香で囲むことから、仏舎利になぞらえられ、やはり釈迦そのものを指したのではないかとされています。

とすると、酔像と玉将は同格であったのかもしれません。お釈迦様が2人いるのもヘンな話なので、一方が玉将を、他方が酔像を持って対局したとか、いろいろ想像はできます。それが二中歴の時代には玉将に統一され、「酔像」の名前は習書木簡に残るだけになったとか……。

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